月曜日, 6月 27, 2005

鞍馬山竹伐り会式


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 6月20日、炎天下の京都・鞍馬寺にて千年もの歴史をもつ古儀、「竹伐り会式」が厳かに行われた。写真は、鞍馬寺僧兵の(弁慶のような)姿をした勇ましい大惣法師が、「蛇」に見立てた竹を勢いよく伐りつける瞬間をとらえたもの。
 竹伐り会式は、水への感謝を捧げ、災禍を断ち切り吉事の招来を祈る儀式であるとともに、「魔王尊」、「毘沙門天王」、「千手観音菩薩」、つまり宇宙の大霊である三身一体尊天の慈愛と光明と活力を、世のすべての心の内に甦らせるための祭儀である。
 

 鞍馬寺総長の信楽香仁氏は、「竹」を通して自然から多くの無言の教えを学ぶことができると説く。草でもない、木でもない、神秘的な竹と向いあうことで、宇宙の大生命の世界を想い、物質世界の奥深くに隠された素晴らしい力について悟るべきであるとも言う。

  • 竹は、見えない土の中で新しい世代の生命を生み出し、その働きを次々と受け継いでゆく素晴らしい力をもつ。
  • 地上で成長した後は、自分は太らずその力を地下茎にまわす非利己性。
  • 一本だけ太ることなく、まわりと調和しながら生きる協調性。
  • 自身にも筋をもって、しなやかに風雪や逆境に打ち克つ忍耐力。
  • 自分は倒れてしまっても、次の新しい生命を生み出す地下茎の底力
  • 食材となり、暮らしの便利な用具となり、美しく神秘的な物語を生み、また、祭儀の主役をつとめ、人間生活の様々な面で役に立っている

 (信楽香仁)

 そして、この日は、前日の甥の結婚式のために来阪した母親とともに、この神秘的で宇宙の大生命の尊さを説く象徴的なこの儀式に参列できたことに感謝している。


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火曜日, 6月 21, 2005

1000000人のキャンドルナイト


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美 空ひばりの命日。TBS (関西は8チャン)で19時から「美空ひばり十七回忌 不死鳥伝説、、、」という2時間の特別番組をやっていた。ひばりさんの1960年代後半か ら70年代初期にかけてのモンドなテレビ映像とそのあまりに上手い歌唱力に感動した。もしも、ひばりさんの絶頂期であったと思われるその当時に僕がリアル タイムで音楽リスナーであったのなら、彼女を追っかけていただろう。親父の世代がひばりさんに一目をおいていた理由がわかったような気がする。ひばり さんの唄うマンボなどのラテン・リズムはキューバが発祥地であって、キューバ革命前に花開いたスタイルでロックン・ロールが生まれる前にはワールドスタン ダード なリズムであった。当時の日本の歌謡界も積極的に外国の最先端でナウいリズムを吸収 していたわけだ。しかし、その反面、古賀政男が書いたあのなんとも憂鬱で暗い昭和歌謡のマイナー調のメロディは苦手だ。酒、女というテーマの唄は、当時 の、本当に小鳥のような声を持つひばり さんには不似合いだし、あの路線を日本演歌が歩んでいってしまったことが日本の歌謡界のそもそもの不幸だったように思う。

  で、その番組の途中に「カメヤマローソク」のコマーシャルが流れた。なぜ、このゴールデンタイムに盆でもないのに、日本に流通しているローソクの大部分の シェアを占 める三重県亀山市の企業のCMが?という疑問は、たまたま、その情報を知っていたから驚かなかった。そう、今日は夏至。1年で夜が最も短い日。そして、今 夜、全国各地、あるは環境問題に関心のある個人の家で100万人のキャンドルナイトと いうイベントというか取組みが行われているはずである。電気を消してキャンドルの明かりで静かに夜を過ごし、地球のこと、環境のことを考えるという、 LOHSA的な静かな取組みなのである。カメヤマローソクは、このことを思い出してもらうべく、ひばりさんの特別番組の途中でさり気なく自社CMを流し訴 求したのであろう。いいぞ、カメヤマローソク。そして今夜、僕の家も蛍光色の照明を落とした。このblogを綴っている最中も最小限の間接照明だけ だ。はたして、日本人の何割の人がこの静かな取組みのことやLOHASという言葉を知っているのだろうか?

土曜日, 6月 18, 2005

Everyday Is Like Sunday

 

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  モ ズことモリッシーの去年の彼の故郷マンチェスターでのライブDVD“Who Put The ‘M’ In Manchester”をAmzon.co.jpで購入、本日到着。モズは、去年のフジロックでは最終日の日曜日のグリーンステージのしかも最終ステージ に出る予定が開催前に突然のドタキャン。え~って感じで大ショックだった。フジロックの日曜日は終演の時間が近づくほど、3日間の日本最大のロック・イベ ントが終わってしまうのが子供の頃に夏休みの最終日みたいな寂しさで胸がいっぱいになる。「ありがとう、フジの夏。また来年もよろしく。」って感じ。そん なチョッピリ、センチメンタルな時間帯にはモズのライブはぴったりだと期待していたのに残念だった。
 モズはザ・スミスという80年代に活躍して いたイギリスのバンドのボーカリスト。ザ・スミスはとっくの昔に解散し、彼も7年前に訳ありで渡米し音楽活動を休止していたが、昨年、イギリスで カムバックを果たした。僕がザ・スミスをよく聴いてしたのは、大学生で就職を控えた時で、とくに内定先も決まっておらず、社会に出ることの一抹の不安を抱 えていた 時期だったように思う。学生時代には多くの友人をつくり、サーフィンに熱中し、多くの知らない街にずいぶん長い旅にも出た。夢のような日々を謳歌してい た。会社という未知で避けては通れない世界に自分が溶け込まなくてはならないことの不安。こんな時期にモズの歌声がぴったりと心にシンクロして響いた。
  さて、このDVDはフジで実現しなかった彼のライブを仮想体験したようなすばらしさ。まるでモズから1年ぶりに届いた贈り物のようだ。特に本編もいいが ボーナス映像のマンチェスターでのMove Festivalの野外ライブの映像は、フジのグリーンステージと重なってみえてしまう。でも、マンチェスターの鉛色の暗い空の色やオーディアンスの客層 がフジとは明らかに違う。この鉛色の空こそが彼を生んだマンチェスタの空であり、この色こそ彼の歌を引立たせる色なんだろう。
 ステージでは、 20年以上も前のザ・スミスやソロでの懐かしい曲‘Everyday Is Like Sunday’や‘There is Light That Never Goes Out’で観客の大合唱。モズもそんな観客に対して「こんな古い歌を憶えてくれてるなんて、、」って男泣き。すばらしい。フジロック、いや日本でこのよう な空間は望めないんだろう。そう考えると、モズが去年ドタキャンしたのも許せる。あの80年代の時間をザ・スミスやモリッシーとともに青春を過ごした同じ思いをもつ 同世代のイギリス達が、あのとき、そうEveryday Is Like Sundayな日々を懐かしむように画面のなかで合唱している姿を観て心が熱くなった。音楽は言葉や国境、時間を一瞬にして超えてしまう。
 

木曜日, 6月 16, 2005

梅雨に対するポジティブな発想


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  梅雨。恵みの雨が大地に降り注ぐ季節。都会で住んでいると単に“うっとしい”嫌な季節の到来である。これまでは、こんな時期には冷房の効いた映画館や ショッピングに出掛けるのがベストだと本気で思っていた。先日、雨の天河神社の鎮守の森で改めて気づいたことがある。それは、雨が森や田んぼに降り注ぎ、 植物が活き活きとしている様子から雨を通して感じ得た自然界の生命メカニズムの尊大さである。

 一日降り注ぐ大量の雨を地表が存分に吸収し たあとで、梅雨の合間の晴れた日には、これら地表から水蒸気をふくんだ空気が上昇し雲となり、まわりの水蒸気を取り組んで大きく成長し、やがて上昇気流で は支えきれなくなると再び雨となり落下する、という小学生レベルでも知っている雨のメカニズム。つまり、「水」はこのガイアにおいて自然界にも生命にも万 遍なく巡回する全ての命の根源だ。雨の降り続く鎮守の森にレインコートを着込んで雨に打たれながらそのような物思いに耽っていると、植物が雨に喜び活き活 きと呼吸していることをリアルに感じた。

 鎮守の森にある巨木の幹に耳を当てると、地底の水分を根 が吸い取って樹の隅々までその水を送り込む音を聴くことが出来る。また、大地に降り注ぐ雨の音は、本当に清らかで綺麗な音色である。田んぼのカエル君たちの合唱も雨音にあわせて一段とエキサイトしてくるようだ。

 


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 僕 ら人間は、このような生命の根源となる水を再び清らかに蘇えらさねばならない。それも水晶のようなピュアな水に。このまま自然環境を無視し効率を求めるあま り水を疎かにしていると必ず人間にその報いが還ってくるだろう。シンプルで陳腐なメッセージかも知れないけど、水の神である弁財天が鎮座される鎮守の森で つくずくそのように実感した。

 雨の日こそ、家から大自然のなかに飛び出してみようと思う。そして、カメラを持って雨が降り注ぎ 活き活きとした自然や雨上がりで水蒸気が空に昇天していく様を様々な角度から撮影してみようと思う。カエルの合唱もバリ島のケチャのようだ。このような些 細な発想の転換とモンベルのレインコートとLLBeanのレインブーツがあれば梅雨も待ち遠しい季節となる。

月曜日, 6月 13, 2005

月光を浴びて


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 写真は、月の明かりに怪しく光る天川村の天ノ川。

  初夏の心地よい夜には散歩がいい。月光を浴びてお気に入りの曲をi-podで聴きながら散歩する。選ぶ曲は、月といえばオオカミ。で、子供の頃FENでよ く聴いたWolfman Jackが選曲しそうな曲たちだ。例えば、ストーンズとか聴きながら吠えるのがよい...。最近、 月齢を 必ずチェックする。今月の満月は何日とか?常に気にかけている。例えばこんな想像もする。満月の夜には世界各地から集まったトラベラー達が世界のどこかの 気持ちのよい秘密の場所に集結し、この月が照らすほのかな明かりのもとでレイヴで踊り明しているはずだ。そんな思いに耽って満月を眺めていると、まるで自 分がその秘密の場所に今すぐ飛んでいけそうな気もする。一方、福知山線の脱線事故もほぼ満月の日だったように記憶している。

 前にも書いた ように大宇陀の禅寺で深夜まで続いたライブを観た後、最寄の近鉄榛原駅まで1時間もかかる農村の寂れた夜道をテクテクと歩いた夜も偶然満月だった。歩道の 街路灯もなく、月光を頼り歩いていると、普段は使っていない何か原始的で動物的な感覚がよみがえり、実に神秘的であった。

 月にこだわり始 めたのは、京都の鞍馬山を訪れて知った魔王尊サナト・クマラ伝説やウエクサ祭からだ。ウエサク祭(五月満月祭)とは、釈迦の降誕、悟りを開いた日、入滅の 日が、全てヴァイシ ャーカ月(インド歴第二月)の満月の夜であったという伝承により、アジア各地で行われる祭り。太陽暦では四月から五月の満月にあたる。 鞍馬にはこの魔王尊サナト・クマラが祀られている。鞍馬山の頂上付近にはサナト・クマラが金星から地球に降り立ったとされる場所もある。地球の地底深くに あると伝えられているジャンバラヤを支配しているのがサナト・クマラであり、彼の世界への入口が地球上には唯一ヒマラヤと南米と京都の鞍馬にあるとのこ と。このような伝説を語り始めると、きりがないからやめよう。ただ、僕にとっては、鞍馬という地は、天理、天河、熊野という聖地が地図上では一直線上で繋 がっている地理的な位置関係に興味がある。


はらいそ
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  月の光とジャンバラヤというキーワードで思い出すのが、最近、CDで再発された30年も前のハーリーこと細野さんのエキゾ・シリーズ最終章、そう、知る 人ぞ知る名盤「はらいそ」のB面に並んだ曲たち。“ジャンバラ通信”、“ウォーリ・ビーズ”など深い意味をもつタイトルの曲が並んでいる。このレコードも 中学か高校のとき物凄く影響を受けた1枚だった。 このアルバムが僕に与えた衝撃は計り知れない。エキゾチックミュージックの創始者のマーティン・デニー やアーサー・ライマンの存在を知ったし、ニューオリンズのGumboマスターことDr.Johnのセカンド・リズムを踏襲した“フジヤマ・ママ”というカ バー曲は、戦後、ハワイの日系人コミュニティの流行歌であったり、そして、沖縄民謡さえも細野ワールドで消化したすばらしいアルバム。日本をあらゆる角度 から外から傍観し、西洋東洋とも混血化し、かつ、ハリウッド映画に出てくる“まがい物的”な音のマンダラ世界を展開するハリー細野は音の錬金術師のごと きである。曲の面白さもさることながら、歌詞が最高に冴えている。例えば“ウォーリ・ビーズ”はこんな感じ..

 ♪逝こう帰ろうよ、月の砂漠へ

 ♪胸に植えろよ月の種を

 ♪百と八つの悩みの種、ひとつふたつ数えるたびに

 ♪ほら、体が軽くて どこでも行ける 思えば 今すぐ

 ♪Om Mani Chandraya/Santi Chandra(オーム、摩尼宝珠なる月よ、静寂なれ、月よ)

 ♪ほら、皆、解きほぐされ どこでも行ける 思えば 今すぐ

  潮が静かに満ち高まってくるような、レゲエ調のコズミックなリズムに浸された魂が舞い上がり、あくがれ出て、煩悩のしこりが解きほぐされて浄化の プロセスを辿っていく。そして魂はあらたによみがえる。ハリー細野は、このような「楽園(はらいそ)」に向かう音楽をつくりつづけている。う~ん、さす が師匠、当時からぶっ飛んでる。それにしても、たしかに現代人、特に都会の人は月明かりを全く気にしなくなった。

木曜日, 6月 09, 2005

ラスタ再び


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 思い起こせば、京都の天空まつりでの天空オーケストラのスピリチャルでラブ&ピースなステージや、あのウブドゥ村(バリ島であまりにも有名な農村、芸術村)のような美しすぎる水田風景と多くの芸術家を吸引するような強烈な磁場をもつ奈良県大宇陀町にある禅寺でのサヨコ・オト・ナラのシークレットライブが、かっての僕がラスタ・ファン!であった記憶を齢40にして再び喚起したのかもしれない。それほど最近レゲエ・ミュー ジックに再びドップリはまりつつある自分を感じる。80年代にロンドンに旋風を巻き起こしたDUB・ムーブメントのなかでもLinton kwesi jonsonのbass culturesで当時の僕は都会のラスタマン気取りだった。それにしても、これほどレゲエに夢中になるのは、大学生のとき以来かもしれない。
  レゲエ・ミュージック界を代表するグル/ボブ・マーリィの4枚組みコンプリート・ボックスの『ソング・オブ・フリーダム』は、 1960年代ロック・ステ ディ時代から、亡くなる直前までの主要なトラックすべてが聴ける嬉しいボックス。入門編としてもコレクターズ・アイテムとしても充実している。特に、個人 的には昨年亡くなったレゲエ界の大ボスCoxson DoddのSTUDIO ONEに残した初期のロック・ステディナンバーが好きだ。これから2年ぐらいはかかるかもしれないがSir,Doddの偉業を追ってレゲエがどこからやって来て、どのようにして完成されたのかを探ってみたい。
 それにしても、ボブはいい。バックのウェイラーズのすばらしさ!ザ・バンドの如き音の空間、音圧にしびれる。そこにアイ・スリーズのバックコーラスが絡むと、もうだめ(笑)、ナチュラル・ハイ状態。
 昔、インド放浪で世界各地のヒッピー君達とフレンドになったが、言葉は通じなくても、ボブとトーキングヘッズは僕らの共通のフェイバリットだった。
  そういえば、高松には80年代に登場してボブの後継者、貴公子とまで騒がれたブラック・ウフルの ボーカリスト、マイケル・ローズの弟さんのカールトン・ローズ氏と日本人の奥さん が経営する僕の大好きなレゲエ・バーがある。夏が来る前に彼らに会いに高松に行きたくなった。ブラザー・ローズがDJブースに立って選曲してくれるキングストンから届いたダンスホール・スタイルのリアル・レゲエをBGMに奥さんのジャマイカ料理とラム&マンゴーが最高なんだ。

月曜日, 6月 06, 2005

カフェ出店計画

 六甲アイランドへのカフェ出店に向け着々と準備を進めている。
店のコンセプトを練っているうちに、この街でカフェをすることの面白さを改めて発見した。この街は、首都圏以外では類稀な特異性がある。 それは、P&G本社やカナディアン・アカデミーなどがあることから、この街には外国人が極めて多いこと。その一方で、日本人との接点が極めて少ないこと。 また、彼らが集う和みの空間や日本人と外国人が接する店も皆無であること。

 出店のための店舗を探すためにリバーモールという小売店舗郡を探索したが、うまく商売をやっている店もあったが、首を傾げたくなるような店もある。
 その理由を自分なりに分析すると
○コンセプトが時流に合っていない
○情熱を感じられない
○プロ意識が感じられない
○外国人を相手に商売しようという意気込みがない
○外国人と日本人とがミックスしているという街の個性を活かしていない
○ココロが「和める空間」、「刺激を受ける空間」という本物志向が欠如している等

 僕がこの街に移ってから8年程になるが、以前に比べて店舗も減り、また、刺激的な商売をする人も少なくなっているようで寂しい。不況で住民の財布の紐がかたく、この地で商売をするのを躊躇しているのだろう。
 しかし、この街に住む人や働く人が心から安らぐことのできる空間としてカフェや自然食を提供する店があれば、この街の賑わいづくりに活路が見出せるのではないかと思う。つまり、ここに住む人のニーズを掘り下げ、それに応えていくような商売でないといけない。カフェと言うよりもサロンといった志向の店がいい。

 今年の春には島内に大規模な結婚式場が完成し、来月には大きなレジャープールもオープンして、かってのような人が集う賑わいの街に戻るような期待もあるのだが、行政任せの箱物施設で活性化を図ることには、もう限界があるはず。というのも、箱物はいつか廃れて飽きられていく運命なんだから。それよりも、住民が本当に必要としいるのは、「和み」と「刺激」を手軽に受けることのできる空間であることに違いないと確信している。


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(出店コンセプト)
神戸の国際都市の象徴、人種のメルティング・ポットでもある六甲アイランド_
国籍を越えた様々な肌の人が集い生活する日本でも稀な街_
人口島というインテリジェントで無機質な街に、LOHAS志向による新たなワールドスタンダードを目指す「和み」の空間を提供するカフェ。
基本コンセプトは、ボーダレスとネオ・フラワーチルドレン。
国境、人種、宗教というカテゴリーには捉われない、自由奔放でトラベラー、エコロジーという人たちが集う。
コーヒーは世界で最も個人消費量が多いという北欧フィンランドより味とオーガニックにこだわった一杯。
ミールは四万十から届く無農薬野菜を中心に.

土曜日, 6月 04, 2005

The Planning of Visionquest In ANEMOS-Garden


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 四万十は日本の、いや世界のネオ・ヒッピーの聖地となり得る可能性を秘めていると言って過言ではない。
日本の精神世界において天河をはじめ吉野・熊野がインドの精神世界を映した金剛界的聖地であれば、「四万十」は東洋の精神世界観をアメリカ人なりに解釈しヒッピーカルチャーを築いたサンフランシスコのような現代社会における現代人のための新たな聖地=道場という場。
  現代の若者が抱えている悩みにおいて、アメリカと日本との共通点があるはずである。アメリカ人はrockという共通言語によって、60年後半のフラワーカル チャーを彷彿 し、現在の閉塞化する社会に自由を求めていこうとしている。グレートフル・デッドが再び注目され、最近ではPhishiやWilcoあたりのジャム 系のアメリカンバンドがその流れを継承し ている。自由を求め、求めるもの同士を集結させ、時代をつくり、閉塞社会を打破しようとしたフラワーチルドレンの時代である60年後半のアメリ カ社会をもう一度再検証しなくてはならない。
  アネモスや唐人駄場のもつ強烈な気をコアにして、四万十を全国に発信し、国内のネオヒッピーを刺激したい。特に関西圏は、アメリカ西海岸の大都市ロスから サンフランシスコと同程度の時間距離であり、大阪から四万十へ週末リピーターとしてやってくる。また、この地の豊かで清らかな自然環境で育まれた 海川の幸、有機野菜などはすべて人間の体に優しく自然からのパワーを得ることもできる。人の生命の根源である食を見直すことも現代人にとっては重要な テーマである。このようなLOHAS的発想の実践の地としても情報発信していくべきであろう。
 情報発信のための媒体として、満月のフルムーンの 日には、アネモスの庭や唐人駄場にて幽玄な雰囲気のなか、スペインやイスラエルから世界的に有名なDJを招いて世界的に類のない独創的なパーティを開催 したい。このパーティは決して一過性の馬鹿騒ぎではなく、儀式として四万十の再生を祝うものである。また、四万十以外にも日本の各地の過疎地と呼ばれる奥地に潜在する日本人が忘れつつある日本らしい原風景のある場所に対しても真の再生=RESETを図るための処方箋を見つけ出すためのきっかけとしたい。

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  • このパーティは、単なるレイバー達による一過性の馬鹿騒ぎではない
  • このパーティは、かつての四万十の唐人駄場の太古の人々の霊を癒し、その地にみなぎるパワースポットを再生、修復するものである
  • したがって、このパーティは、聖なる儀式。つまり、ネイティブ・インディアンの言うビジョン・クエストなのである
  • よって、このパーティに来れる人間は、その運命を持った者に限られる。この地の「霊気」やウスバエの海に打ち寄せる黒潮の波動と同調する反復音をハウスというコンピュータによる機械を介して原始の音霊として自ら邂逅する能力が必須である
  • だから、このパーティには、最高の音や気を求める世界中から集まったオーディアンス、ヒーラー、気功師までもが自然発生的に集結するのである
  • DJ達はこれから世界的に注目されるであろうアーチストである。彼はラップトップ・コンピュータを操り、唐人駄場から受ける気をヒーリングし月のパワーや黒潮から感性を得て、次々に途切れなく大音量のもと、原始的な単調なリズムを発していくのである。
  • つまり、ここではDJやミュージシャン達は、古代、遠く南方から舟で風神の導きでこの唐人駄馬に辿り着いた船頭のように、オーディエンス達を最高潮へと誘うである
  • DJは、このパーティが運命的にこの場でプレーしていることを悟っている。そしてこのイベントが今後伝説として語られることを直感しているのである
  • 会場は、光の照明で彩られ、さながら金剛界、天国である。女性達は、アメノウズメの如く、神が与えた美しい裸体をさらけだし、怪しくエロスそのものである
  • このパーティは満月の夜をピークに1週間行われる。夜を重ねるごとに、この情報はインターネットを通じ、世界中に発信され、アネモスの庭に同じ運命を持った人間が更に集結するのである

火曜日, 5月 31, 2005

風神海岸(アネモス・コースト)と北代氏(その2)


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 四万十に住む友人の濱田君が僕をこの唐人駄場とアネモスの庭に連れてきてくれ、そして北代氏を紹介してくれた。北代氏に初めてお会いしたのだが、彼の口から彼自身が末期の癌という不治の病であること、そして余命3ヶ月という事実を告白された。偶然にも僕の父親も同じ病に侵され余命僅かという辛い悩みを抱えていた時期であった。このような心境の時に北代氏とめぐり合えたというのは、まさに運命的なことである。北代氏の凛とした「死」を受け入れた清清しい姿勢は、誰もが容易く真似をできるものではない。逆に、このような境遇にある中、初対面の僕に対し父親の死を現実として受け止めることの勇気を与えてくれる素晴らしい方である。
 彼の発する言葉は、唐人駄馬そしてアネモスに宿る神々からのメッセージを彼の口をかりて伝えているように思える。神に仕える神道の宮司やシャーマンのようである。
 『人間の魂に響くものこそが本物である。そんな本物を創造していってほしい』という北代氏のメッセージは、唐人駄場とアネモスのすばらしいさを世に伝えること。つまり、人間の魂を癒すことのできるパワーが溢れるこの聖地の存在を世界に発信し、そしてここに宿る神々のメッセージを広く世に伝えていくことを宿命として僕達に託された。北代氏のスピリットはアネモスの巨石に永遠に刻印されていくのであろう。近い将来、この場所に必ず存在するサムシング・グレートによってアネモスの庭へ世界中からその使命を受けた人々が終結してくるはずである。その手伝いを我々が任されたのである。僕と濱田君の今後の進むべきロードマップを示していただいた偉大な一日であった。そして、数日後、僕の尊敬すべき父が天国へと安らかに逝った。北代氏が説いてくれたように父の魂はいつも自分の近くで見守っていてくれるような気を現実として感じているのである。

風神海岸(アネモス・コースト)と北代氏


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  足摺岬に世界最大規模と言われるストーンサークルの唐人駄場がある。海岸線の道路脇に車を停めて、海へアプローチする急斜面の崖を降り、木々のトンネルを わたりきると竜宮神社がみえ、やがてウスバエ海岸が眼下にひろがる。赤道付近のフィリピンあたりから八重山諸島や琉球諸島を経由し北上した黒潮という龍体エネ ルギーはこのウスバ エ海岸にたどり着く。衣服を脱ぎすてて、海に浸 かり禊をしたいという衝動を押さえきれなかった。八重山諸島や慶良間諸島のような黒潮独特の透明なマリンブルーの海の色は、ここが四国であるということ が信じられないぐらい美しい。神戸の自宅を早朝に出発し、新幹線と瀬戸大橋を渡るJRのローカル特急を乗り継いだだけの移動距離であることを全く感じさせ ない。水面で仰向けとなり、全身の力を完全に抜き、まるで胎児のごとくウスバエ海の羊水に浸かり安心感と幸福感に満たされながら浮力と海流に身をまかせて 雲をぼんやりと眺める。そして、先ほど降りてきた海岸の崖に連なる岩の美しさに改めて感動する。この時点で頭の中は空白となり意識は覚醒し、これから向か う北代邸のアネモスの庭を鑑賞するために精神を整える。
  北代邸は亜熱帯植物が茂るジャングルの中にある。邸の庭そのものが古代人が配した巨石郡で北代氏が新たに石を配置したり若干の手入れをしたものである。目 線では判らぬが上空からみるとこの巨石郡が水神(アネモス)が象られている。「神々の指紋」の著者グラハム・ハンコック氏もここに訪れたという未だ現代人 には解明できない古代人のロマンや謎を刻印した場所でもある。北代氏はこれらの事実を知らぬまま、おおよそ三十年前から神の啓示を受け、この石郡の復興を ライフワークとしてこの地が持つ不思議な磁場の整えを一人細々と続けてこられ、ほぼ、彼のイメージ通りの作品としてようやく完成したそうである。

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木曜日, 5月 19, 2005

元禄時代のトラベラー、芭蕉が教えてくれたこと


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芭蕉の「不易流行」という思想が好きだ。
変 わらぬものと常に変わりゆくものが絶妙なバランスで対置している関係。つまり、「変わらぬもの」と「常に変わりゆくもの」そして、そのバランスを保つ中間 をなす目に見えない存在の三位一体が均衡していることこそ東洋の美である数奇(奇数)を表す宇宙観なのである。日本人の美意識は、動と静、過去と未来、かっこよ さとダサさと言った対極と、それに加えて、目には見えないものを心で感じ、そのバランス感覚こそが「侘び寂び」として重要なものと捉えてきたことではなか ろうか。
 芭蕉はこんな言葉を残している。
『不易も流行も、元をだどれば、ひとつのものである。不易ということを知らねば、基本を抑えた句を詠むことがはできず、流行ということを知らねば、詠んだ句の風体(姿)というものが、新しく見えることはない。』

 いやいや、この言葉だけでは不充分だ。芭蕉の説く不易流行とは、つぎの句の境地ではなかろうか。
 
 ○閑かさや岩にしみいる蝉の声

  蝉とは、儚き命の象徴であり、また、岩は墓石を指す。静けさは、あくまでも芭蕉個人の主観のなかで、蝉の音がとぎれて何も聞こえなくなった心境を「閑か」 と表現したものであろう。 不易と流行が岩の中でとけ込んで、一体となることを凍るような思いで悟った心境がこの句であるという。

  人間の魂の記憶やメッセージが鉱物という媒体に刻印され、永遠に後世へメッセージを残していくという考え方がある。神社のイワクラは縄文時代以前の太古の 人々が巨石に神が宿り、信仰のシンボルとした。この信仰は、世界各地にストーンサークルがあることから世界共通のものである。

  そう言えば、先日、世界的規模のストーンサークルが存在する足摺岬の唐人駄場に行ったが、巨石あるいはその磁場から発せられる「気」により魂が鎮 められた体験をしたことを思い出した。パワーストーンから発する古代人のメッセージをチャネリングするクリスタル・ヒーリングも同様だ。
 
 ところで、俳句が時間という二次元を超えてその人の心境を5・7・5という言葉の水晶体に凝縮し永遠に伝えていけると云う可能性。また、足し算ではなく引き算というミニマルの美しさに西洋にはない日本の美意識。
 唐突ではあるが、このような不易流行やミニマルの視点で日本のファッション界で唯一展開している『ユニクロ』の今後の動向に注目し応援したい。

 

月曜日, 5月 09, 2005

大峯修験道 奥駆けの道 


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  この写真は、山上ヶ岳山頂から望む吉野熊野七十七靡のご来光と雲海。神々しく美しく心が清められるようだ。この写真をネットで公開しているが、たまたま、 この写真をみたインド人からも「美しい」とコメントをいただいた。七十七靡の山々には役の行者が体得したインドの神々の名が付く峰々が連なっていることから、偶然とは言え、不思議だ。星の数以上あるネット上の写真からこの写真にアクセスしたということ自体、凄いことだ。
 『大峯修験の道 奥駆けの道』をあまりにも軽く考えすぎていた自分に反省。
  吉野山から熊野へと続く修験の道。1300年前に役の行者が開いた神々が降りる修行の場。そのメッカである山上ヶ岳は、まさに龍の頭。山上ヶ岳から吉野山 までの修験道は龍の体と喩えられ、熊野にかけての全ての行程が険しい山岳の道無き道を這いずりながら命がけで渡らねばならない。
 山の高度も高 く、尾根道と断崖絶壁の連続で一瞬の油断がまさに命取りとなるこの登山道は、岩にしがみつき、極度の緊張感のなか、肉体を全開で駆使することで、精神性を 高めるという修行である。現在の登山において、これほど険しく未整備な登山道は他に類をみないのではないだろうか。
 大げさではなく、登山中は何 度も死を覚悟し、岩にへばりつき一歩一歩進んでいった。そして、下山後の清々しさは喩えようがない。山岳信仰、修験道をほんの少し体験できる貴重なGWで あった。ちなみに、自分にとっては、20年前のインド旅行と匹敵するぐらいのインパクトがあった。
 

月曜日, 4月 25, 2005

西行と芭蕉


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 吉野山の下千本から上千本までの桜が昨夜から降り続く春雨ですでに散ってしまっていたが、西行庵のある奥千本は満開の見頃だった。雨のなか、ひっそりとした金峯神社から続く山道を散策し、西行庵に辿り着いた。

 西行は、ここ奥吉野の金峯神社の近くに西行庵を結んで、三年間桜の園の中に埋もれるように暮らした。桜は吉野山の麓の辺りから、徐々に標高の高い方に向かって、花を咲かせてゆく。きっと西行は、桜の頃になると、そわそわとまるで恋人が、庵に尋ねて来るような心地で、花の開花を待ったことであろう。

 願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃
(願いが叶うならば、何とか桜の下で春に死にたいものだ。しかも草木の萌え出ずる如月(陰暦二月)の満月の頃がいい)

 
 ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ
(ずっと花を眺めているせいか、花に情が移ってしまい、花たちと散り分かれてゆくのが悲しく思われることだ)

 吉野山の山桜は、厳しい環境のなかで、豪雪と寒風に耐えながらやっと大人の木となって花を結ぶ。だからこそ美しい。 吉野山では桜は神木であり、信仰の対象でもあった。 西行は、吉野山の桜というよりも、ここに宿っている目に見えぬ祈りの華ににこそ美を見いだしたのかもしれない。


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 そして、松尾芭蕉。元祖トラベラー「旅人」。
芭蕉の生涯は、西行の辿った道を、俳諧という新しい感性をもって巡る漂流の生涯ではなかっただろうか。 自身を「旅人」と呼ばれたいという心境というものは、無の境地に近いものであったはず。栄達の夢を捨てきれず、花の都の江戸に出てきた芭蕉が、いつしか自分が、突き詰めてきた道の奥には、自分が考えもしないような深い道に連なっていることを発見したのであったのか。

 旅人と我名よばれん初しぐれ
(旅先では、ただ一言、「旅人」呼ばれたいものだ。旅に出ようと思ったらどうやら初時雨が降って来たようだ。)

 芭蕉は吉野に来る前、伊賀の兄が住む実家によって、近年亡くなった母の菩提を弔っている。この旅そのものが、母への追慕の旅でもあった。


吉野山2
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さて、私事ではあるのだが、自分自身のルーツである伊賀と日々大都会で競争社会に身を置いているという当時の芭蕉との共通点。また、芭蕉が西行の後を追って吉野山に向かったのも41歳ということ。近いうちに、伊賀と吉野山との距離感を徒歩で体感し、芭蕉の心境に近づいてみたいものだ。

火曜日, 4月 19, 2005

地方のアニミズム的な伝承を再発見し、自然と地方との新たな係わり方をプロデュースする

 日本の地方がもつ魅力とは何だろうか。よくそんなテーマについて自問する。地方が古来より伝承してきた独自の風習や宗教観、自然や神への崇拝、鬼などの見 えない物への畏怖が忘れられつつあり、バブル期にはリゾートマンションや無駄な公共事業の開発によって豊かな自然や文化の多くが失われた。また、経済や効 率化を優先する社会システムは、地方から都市への人口流出化を進ませ、地方では少子高齢化の進行、後継者不在によって祖先から受け続いてきた土地を手放す 人も多いと聞く。人が住まなくなった里山は荒れ果て朽ちていく。
 このような、地方の衰退はこれからの日本社会や自然環境へ多大に影響を及ぼすもの である。また、地方衰退は、日本人のもつ「自然を感じ、共生する心」つまり、レイチェル・カーソンの言う、センス・オブ・ワンダーの考えが忘れ去られる恐 れがある。日本人は縄文時代以前より、自然そのものを神として崇拝するアニミズム的な宗教世界があり、自然に身をおくことで生きる力や活力を得て、癒され てきた。我々は人間性の回復の場でもある自然やアニミズムの宝庫である地方の魅力や役割を再認識する必要がある。
 そこで、僕が取組んでみたいこと は、地域活性化の新たなアプローチとして、地方の本来の魅力を掘り起こすことを目的に、特定の地域コミュニティに密着に接触し、地方に伝わる伝承や祭り、 神社の神事などの宗教的神事に参加・体験させていただき、現代人が忘れかけている「人と自然との良好な関係のあり方やセンス・オブ・ワンダー的な伝承」を 現代人に訴求するテーマを見つけだすことである。また、そのテーマを広く一般や子供達へ伝承するための媒介として、地域プロデューサーという立場から地元 住民、行政、NPO等を巻き込んだワークショップやイベント等の企画立案と実践を行い、現在のお金だけを地方に落とさせる仕組みに特化した地方活性化論に 一石を投じてみたいのである。

木曜日, 4月 14, 2005

愛犬ムサシ

僕の愛犬。イングリッシュ・コッカスパニエル。名前はムサシ、かわいい。

個人的で低レベルな話

 酒をやめようと思ってから、何年経つのだろうか。夕べも気のおけない友人と深夜まで深酒をしてしまった。いくら、これから挑戦するビジネスへの熱き語らいとはいえ、酔うと気が大きくなり、抑制が効かなくなり、大切な諭吉さんを簡単に浪費してしまうという酒の恐ろしさ。以前であれば、仕事のストレス発散の機会でもあったのだが、最近は酒に飲まれている自分をつくづく感じる。特に今日のような春の心地よい日に二日酔いというのは、辛いし自分が情けない。
 ヨガとまではいかないにしても、体調や気功を整えるのには、まずは酒を断つことから始めてみよう、今度こそは、、、、、、。

水曜日, 4月 13, 2005

bonarooフェスはもうすぐ

 テネシー州ナッシュビルで開催されるbonnarooフェスティバルがあと2ヶ月と近づいている。 出演者のラインアップの全容は未だ明らかではないけど、今年の目玉は、やはり、TreyとBob Wier、オールマンっていうところなんだろうか?今回、僕がbonnarooに行く決心をした理由の一つは、その本場の空気を味わってみたいことや、日本以上に閉塞する現代のアメリカ社会において自分の価値観や『自由』を求めるアメリカ人の多くが、カントリー、フォーク、ジャズ、ブルース、カリプソといったアメリカン音楽のルーツを踏襲し心地よさを追求するjam系のバンドが多く出演するこのフェスに集結していると考えられるから。ウッドストック、フラワー・チルドレンの第二世代であり、当時のベトナム戦争下のアメリカと現代のアメリカがオーバーラップしている今、bonarooのような自由な空気を求めるフェスが盛り上がるのは当然の成行きなんだろう。jam系は、60年代からスタートしたgreatful deadから去年解散したphishやその後継者というように、世代を越えてつながっている。僕らは70年代、80年代というように年代毎にカテゴライズしたり、イギリス系だとか、レゲエ、エレクトロニカ等といった多様なジャンルを幅広く聴いてきた。実際、渋谷の宇多田町界隈は、世界で最もレコード屋の密度が高いときくし、海外のアーチスト達に言わせると日本人は最良なリスナーであるらしい。アメリカ人と日本人との音感の違いはなんだろうか?たぶん、それは自分達のルーツとする音楽を持っているか否かの差なのかも知れない。例えば、Ry Cooderは白人にして、黒人音楽の古いゴスペルやブルースを掘り起こしをし、カントリーミュージックの根源であるヒルビリーとの接点を見つけた。その後、メキシコ、ハワイ、沖縄までをも消化し、そしてキューバまでをも彼自身の音楽スタイルとして確立している。よそ者としてそれらの音楽を主観的に感じとり自身のスタイルに取り入れているようで、実は、しっかりとアメリカのルーツミュージックとの接点を掘り当てているに違いない。なぜならば、アメリカの白人は移民達であるからである。イギリスのストーンズがいぶし銀の黒人ブルースに共感するのも、アイルランドのヴァン・モリソンがソウルフルなのも、このように考えると当然のこと。
 では、日本人の僕。僕にとってのbonnarooは自分探しの旅であり、音楽の聖地巡礼の旅でもあり、僕らが幼い頃から聴きなじんできたアメリカン・ミュージックへのオマージュなのかもしれない。

土曜日, 4月 09, 2005

又兵衛桜と天益寺の枝垂れ桜

 桜前線の真っ只中の週末、奈良県大宇陀郡大宇陀町の又兵衛桜と天益寺にて花見を満喫した。大宇陀は、奈良県中部に位置する廻りを山々に囲まれた盆地にある。万葉集で柿本人麻呂が―ひんがしの野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ―と詠んだ、『かぎろい』(厳寒期早暁の気象現象)が観察できることで知られている。

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大宇陀の小高い丘に立つ天益寺(てんやくじ)は境内の樹齢350年の枝垂れ桜で知られ、かやぶきの美しい本堂がある古寺だが、99年1月に放火事件に巻き込まれ本堂が全焼し消滅した。
 このお寺で毎年桜の時期に夜桜コンサートが開催されてる。野田晴彦さんという笛のミュージシャンがお寺の再建のためのチャリティコンサートをなされている。この大宇陀の小さな山村が桜のシーズンは多くの人々が集い、ライトアップされた夜桜が夜空に浮かびあがるなか、笛の音が村中にこだまするという、何ともアーティステックで、幻想的で雅な空間に酔いしれることのできる、本当にすばらしい花見が堪能できる。
 僕の大きな後悔。それは、大宇陀に毎年このようなすばらしい桜が咲き、この雅な空間をこれまで知らなかったこと。そして、プロ、アマチュアを問わずカメラマンを魅了したという今は消滅した天益寺のかやぶき屋根の本堂をこの目で見れなかったということ。一日も早い再建を願ってやまない。

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水曜日, 4月 06, 2005

ヤンバルに行ってきた(その2)

 喜如嘉の集落のほぼ中央にある小道を、南側へ山に向かっていくと、緑の木々の中に滝が見えてくる。ここは七滝と いう拝所、つまり御嶽(うたき)。滝であることから、水神を祭っているのかどうかは定かではないが、この先からはヤンバルの深いジャングルとな り人が立ち入ることを拒むような場所に位置していることから、「ヤンバルの森」そのものをご神体としているようにも感じる。ここに居るだけでパワーがみ なぎってくるような、そんな神聖な空間です。拝所で祈りを捧げ、瞑想をしているだけで何物にも代えがたい幸福感に満たされる。

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  本来、本土の神社もこのように、神霊を迎え入れ、その意志をうかがい、祈り、祭儀を執り行う空間であったはずなのに、いつしか、神霊の常住する「建築空 間」として成立している。例えば、三輪山山麓の大神神社は、今なお建築物としては拝殿しか持たず、円錐形の秀麗な山容を御神体として、山麓にある3つのイワクラを神霊の依り憑く座として信仰されている。御嶽に立っていると、縄文時代あるいはそれ以前に、本来、神社が成立していた原型が御嶽に極めて近 かったのではないかと示唆できる。
 さて、この聖地「七滝」に向かう小道の途中に、日本野鳥の会沖縄支部事務局の市田さんが経営しているカフェ「小春屋」が ある。テラスにヤンバルのジャングルが「よっこらしょっ」て感じで迫っていて、庭そのものがジャングルと喩えられるぐらい、お茶をしながらヤンバルの 自然を堪能できるというすばらしいロケーションである。そのジャングルの庭先にもハブがウヨウヨいるらしく、市田さんも庭に出るときは長靴と飛び掛ってくる ハブをかわすための長い棒が必須であるとのこと。四季を通じて様々な野鳥が訪れるらしく、市田さんから野鳥のことや喜如嘉の文化・風土のお話しを伺っていると時間 を忘れてしまうぐらい興味深い。ヤンバルにしか生存しない貴重な自然や生態系に対し、米軍基地のヤンバルへの移転問題、政治家や沖縄開発 総合事務局の官僚達による醜い道路やダムなんかの公共事業の脅威に対し、地元の子供達や沖縄県民へエコツアーを企画し、それを媒体にして自然の尊さを知ってもらうべく啓蒙活動をなさっている。

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 カフェを後にヤンバルのジャングルを車でドライブし、沖縄北部の東海岸に辿り着き、その原始的とも言える素朴な漁村の風景に感動した。まだまだ、手付かずで、文化人類学者の研究の対象になるぐらい、沖縄の人々がインドネシアやフィリピンなどの南方からやってきたということを実感できる原風景が広がっている。今の段階では、これを言葉で表現する作業は難しいので、もう一度、彼の地に立ってみてフィールドワークを重ねてみたい。この東海岸の荒々し い海を眺めていると、ふと喜納昌吉の「東崎(あがりざき)」という名曲のメロディが頭に浮かんできた。 仮にもし、喜納さんがこの名曲のインスピレーションを受けたのが、ひっとして、この沖縄北部の東海岸であったのではないのか、とさえ思えてくる。ニライカナイという 伝説の神の島に対するオマージュを若き喜納さんが感じ取ったとすれば、その同じバイブレーションを僕もほんの少し感じることができたような気がする。そ んな訳で、その日の夜は那覇に戻って、喜納さんの経営するライブハウスで喜納さんのお姉さんが歌うエイサーのリズムに酔いしれ、踊り明かし、100%満足 のオキナンチャーの旅が終わった。

月曜日, 4月 04, 2005

ヤンバルに行ってきた

 4月に入り年度末の締め切り仕事も一段落したところで、4月1日~2日にかけて沖縄の北部エリア、いわゆるヤンバルに行ってきた。前日まで那覇市でクライアントとの打合せがあって、そのついでに今まで訪れたことのなかったヤンバルを旅した。
 沖縄には仕事で何度も足を運んだが、特に今年の冬には週一回ぐらい頻繁に出張した。沖縄は僕の大好きな場所ではあるのが、何故だか最近、沖縄の滞在中は体調が悪くなり極端に気だるく、偏頭痛に悩まされ続ける。たぶんこの原因は、冬は寒いという僕らの常識や関西で生活をしてきた祖先から引き継いだ遺伝子やDNAの条件下において、突如、飛行機で瞬時に移動して真冬なのに熱帯気候に体を置くことの違和感であろうかと思われる。関西空港ではコートを着ていたのに2時間後には冷房が必要なぐらいの暑さと湿度の極端な環境の変化にウンザリ。ちなみに、今年の2月初旬の大雪が降り関西地方の交通網の大部分が麻痺した日に、天河神社の新年祭に参加したが、道中、冬山のドライブの経験もなく、生まれて初めてタイヤチェーンを装着しての積雪40cmの白銀の天河に何とか辿り着いた。-10℃ぐらいの酷寒の天河であったが、その寒さというのは、かえって血流の流れが活性化され頭が醒めて心地よさとなった。そう考えると、四季のある日本は「冬は寒く、夏は暑いがよい」という格言は的を得ている。近年の地球温暖化による異常気象は我々の知らぬうちに身体面や精神面で蝕んでいるのではないだろうか。
 さて、話をヤンバルに戻し、先ず最初に訪れたのは日本で一番の長寿の村で、ヤンバルの入口にある大宜味村である。ここはすばらしかった!結論から先に言うと沖縄のすべての原点が詰まっていると言って過言ではない。喜如嘉(ぎじょか)という集落は、芭蕉の産地で今でもすばらしい芭蕉布を織る元気なおばあさん達が住んでいる。また、集落の景観も沖縄らしい漆喰の赤瓦も多く残っているし、古い家の原型を残しつつリフォームしたり、新築の家も伝統的な沖縄住宅にマッチした家屋であって、住民が暗黙でこの伝統的な失われつつある沖縄らしさの景観の保全に努めているような心意気を感じる。本当にいい気で溢れていました。

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