月曜日, 6月 27, 2005

鞍馬山竹伐り会式


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 6月20日、炎天下の京都・鞍馬寺にて千年もの歴史をもつ古儀、「竹伐り会式」が厳かに行われた。写真は、鞍馬寺僧兵の(弁慶のような)姿をした勇ましい大惣法師が、「蛇」に見立てた竹を勢いよく伐りつける瞬間をとらえたもの。
 竹伐り会式は、水への感謝を捧げ、災禍を断ち切り吉事の招来を祈る儀式であるとともに、「魔王尊」、「毘沙門天王」、「千手観音菩薩」、つまり宇宙の大霊である三身一体尊天の慈愛と光明と活力を、世のすべての心の内に甦らせるための祭儀である。
 

 鞍馬寺総長の信楽香仁氏は、「竹」を通して自然から多くの無言の教えを学ぶことができると説く。草でもない、木でもない、神秘的な竹と向いあうことで、宇宙の大生命の世界を想い、物質世界の奥深くに隠された素晴らしい力について悟るべきであるとも言う。

  • 竹は、見えない土の中で新しい世代の生命を生み出し、その働きを次々と受け継いでゆく素晴らしい力をもつ。
  • 地上で成長した後は、自分は太らずその力を地下茎にまわす非利己性。
  • 一本だけ太ることなく、まわりと調和しながら生きる協調性。
  • 自身にも筋をもって、しなやかに風雪や逆境に打ち克つ忍耐力。
  • 自分は倒れてしまっても、次の新しい生命を生み出す地下茎の底力
  • 食材となり、暮らしの便利な用具となり、美しく神秘的な物語を生み、また、祭儀の主役をつとめ、人間生活の様々な面で役に立っている

 (信楽香仁)

 そして、この日は、前日の甥の結婚式のために来阪した母親とともに、この神秘的で宇宙の大生命の尊さを説く象徴的なこの儀式に参列できたことに感謝している。


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火曜日, 6月 21, 2005

1000000人のキャンドルナイト


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美 空ひばりの命日。TBS (関西は8チャン)で19時から「美空ひばり十七回忌 不死鳥伝説、、、」という2時間の特別番組をやっていた。ひばりさんの1960年代後半か ら70年代初期にかけてのモンドなテレビ映像とそのあまりに上手い歌唱力に感動した。もしも、ひばりさんの絶頂期であったと思われるその当時に僕がリアル タイムで音楽リスナーであったのなら、彼女を追っかけていただろう。親父の世代がひばりさんに一目をおいていた理由がわかったような気がする。ひばり さんの唄うマンボなどのラテン・リズムはキューバが発祥地であって、キューバ革命前に花開いたスタイルでロックン・ロールが生まれる前にはワールドスタン ダード なリズムであった。当時の日本の歌謡界も積極的に外国の最先端でナウいリズムを吸収 していたわけだ。しかし、その反面、古賀政男が書いたあのなんとも憂鬱で暗い昭和歌謡のマイナー調のメロディは苦手だ。酒、女というテーマの唄は、当時 の、本当に小鳥のような声を持つひばり さんには不似合いだし、あの路線を日本演歌が歩んでいってしまったことが日本の歌謡界のそもそもの不幸だったように思う。

  で、その番組の途中に「カメヤマローソク」のコマーシャルが流れた。なぜ、このゴールデンタイムに盆でもないのに、日本に流通しているローソクの大部分の シェアを占 める三重県亀山市の企業のCMが?という疑問は、たまたま、その情報を知っていたから驚かなかった。そう、今日は夏至。1年で夜が最も短い日。そして、今 夜、全国各地、あるは環境問題に関心のある個人の家で100万人のキャンドルナイトと いうイベントというか取組みが行われているはずである。電気を消してキャンドルの明かりで静かに夜を過ごし、地球のこと、環境のことを考えるという、 LOHSA的な静かな取組みなのである。カメヤマローソクは、このことを思い出してもらうべく、ひばりさんの特別番組の途中でさり気なく自社CMを流し訴 求したのであろう。いいぞ、カメヤマローソク。そして今夜、僕の家も蛍光色の照明を落とした。このblogを綴っている最中も最小限の間接照明だけ だ。はたして、日本人の何割の人がこの静かな取組みのことやLOHASという言葉を知っているのだろうか?

土曜日, 6月 18, 2005

Everyday Is Like Sunday

 

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  モ ズことモリッシーの去年の彼の故郷マンチェスターでのライブDVD“Who Put The ‘M’ In Manchester”をAmzon.co.jpで購入、本日到着。モズは、去年のフジロックでは最終日の日曜日のグリーンステージのしかも最終ステージ に出る予定が開催前に突然のドタキャン。え~って感じで大ショックだった。フジロックの日曜日は終演の時間が近づくほど、3日間の日本最大のロック・イベ ントが終わってしまうのが子供の頃に夏休みの最終日みたいな寂しさで胸がいっぱいになる。「ありがとう、フジの夏。また来年もよろしく。」って感じ。そん なチョッピリ、センチメンタルな時間帯にはモズのライブはぴったりだと期待していたのに残念だった。
 モズはザ・スミスという80年代に活躍して いたイギリスのバンドのボーカリスト。ザ・スミスはとっくの昔に解散し、彼も7年前に訳ありで渡米し音楽活動を休止していたが、昨年、イギリスで カムバックを果たした。僕がザ・スミスをよく聴いてしたのは、大学生で就職を控えた時で、とくに内定先も決まっておらず、社会に出ることの一抹の不安を抱 えていた 時期だったように思う。学生時代には多くの友人をつくり、サーフィンに熱中し、多くの知らない街にずいぶん長い旅にも出た。夢のような日々を謳歌してい た。会社という未知で避けては通れない世界に自分が溶け込まなくてはならないことの不安。こんな時期にモズの歌声がぴったりと心にシンクロして響いた。
  さて、このDVDはフジで実現しなかった彼のライブを仮想体験したようなすばらしさ。まるでモズから1年ぶりに届いた贈り物のようだ。特に本編もいいが ボーナス映像のマンチェスターでのMove Festivalの野外ライブの映像は、フジのグリーンステージと重なってみえてしまう。でも、マンチェスターの鉛色の暗い空の色やオーディアンスの客層 がフジとは明らかに違う。この鉛色の空こそが彼を生んだマンチェスタの空であり、この色こそ彼の歌を引立たせる色なんだろう。
 ステージでは、 20年以上も前のザ・スミスやソロでの懐かしい曲‘Everyday Is Like Sunday’や‘There is Light That Never Goes Out’で観客の大合唱。モズもそんな観客に対して「こんな古い歌を憶えてくれてるなんて、、」って男泣き。すばらしい。フジロック、いや日本でこのよう な空間は望めないんだろう。そう考えると、モズが去年ドタキャンしたのも許せる。あの80年代の時間をザ・スミスやモリッシーとともに青春を過ごした同じ思いをもつ 同世代のイギリス達が、あのとき、そうEveryday Is Like Sundayな日々を懐かしむように画面のなかで合唱している姿を観て心が熱くなった。音楽は言葉や国境、時間を一瞬にして超えてしまう。
 

木曜日, 6月 16, 2005

梅雨に対するポジティブな発想


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  梅雨。恵みの雨が大地に降り注ぐ季節。都会で住んでいると単に“うっとしい”嫌な季節の到来である。これまでは、こんな時期には冷房の効いた映画館や ショッピングに出掛けるのがベストだと本気で思っていた。先日、雨の天河神社の鎮守の森で改めて気づいたことがある。それは、雨が森や田んぼに降り注ぎ、 植物が活き活きとしている様子から雨を通して感じ得た自然界の生命メカニズムの尊大さである。

 一日降り注ぐ大量の雨を地表が存分に吸収し たあとで、梅雨の合間の晴れた日には、これら地表から水蒸気をふくんだ空気が上昇し雲となり、まわりの水蒸気を取り組んで大きく成長し、やがて上昇気流で は支えきれなくなると再び雨となり落下する、という小学生レベルでも知っている雨のメカニズム。つまり、「水」はこのガイアにおいて自然界にも生命にも万 遍なく巡回する全ての命の根源だ。雨の降り続く鎮守の森にレインコートを着込んで雨に打たれながらそのような物思いに耽っていると、植物が雨に喜び活き活 きと呼吸していることをリアルに感じた。

 鎮守の森にある巨木の幹に耳を当てると、地底の水分を根 が吸い取って樹の隅々までその水を送り込む音を聴くことが出来る。また、大地に降り注ぐ雨の音は、本当に清らかで綺麗な音色である。田んぼのカエル君たちの合唱も雨音にあわせて一段とエキサイトしてくるようだ。

 


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 僕 ら人間は、このような生命の根源となる水を再び清らかに蘇えらさねばならない。それも水晶のようなピュアな水に。このまま自然環境を無視し効率を求めるあま り水を疎かにしていると必ず人間にその報いが還ってくるだろう。シンプルで陳腐なメッセージかも知れないけど、水の神である弁財天が鎮座される鎮守の森で つくずくそのように実感した。

 雨の日こそ、家から大自然のなかに飛び出してみようと思う。そして、カメラを持って雨が降り注ぎ 活き活きとした自然や雨上がりで水蒸気が空に昇天していく様を様々な角度から撮影してみようと思う。カエルの合唱もバリ島のケチャのようだ。このような些 細な発想の転換とモンベルのレインコートとLLBeanのレインブーツがあれば梅雨も待ち遠しい季節となる。

月曜日, 6月 13, 2005

月光を浴びて


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 写真は、月の明かりに怪しく光る天川村の天ノ川。

  初夏の心地よい夜には散歩がいい。月光を浴びてお気に入りの曲をi-podで聴きながら散歩する。選ぶ曲は、月といえばオオカミ。で、子供の頃FENでよ く聴いたWolfman Jackが選曲しそうな曲たちだ。例えば、ストーンズとか聴きながら吠えるのがよい...。最近、 月齢を 必ずチェックする。今月の満月は何日とか?常に気にかけている。例えばこんな想像もする。満月の夜には世界各地から集まったトラベラー達が世界のどこかの 気持ちのよい秘密の場所に集結し、この月が照らすほのかな明かりのもとでレイヴで踊り明しているはずだ。そんな思いに耽って満月を眺めていると、まるで自 分がその秘密の場所に今すぐ飛んでいけそうな気もする。一方、福知山線の脱線事故もほぼ満月の日だったように記憶している。

 前にも書いた ように大宇陀の禅寺で深夜まで続いたライブを観た後、最寄の近鉄榛原駅まで1時間もかかる農村の寂れた夜道をテクテクと歩いた夜も偶然満月だった。歩道の 街路灯もなく、月光を頼り歩いていると、普段は使っていない何か原始的で動物的な感覚がよみがえり、実に神秘的であった。

 月にこだわり始 めたのは、京都の鞍馬山を訪れて知った魔王尊サナト・クマラ伝説やウエクサ祭からだ。ウエサク祭(五月満月祭)とは、釈迦の降誕、悟りを開いた日、入滅の 日が、全てヴァイシ ャーカ月(インド歴第二月)の満月の夜であったという伝承により、アジア各地で行われる祭り。太陽暦では四月から五月の満月にあたる。 鞍馬にはこの魔王尊サナト・クマラが祀られている。鞍馬山の頂上付近にはサナト・クマラが金星から地球に降り立ったとされる場所もある。地球の地底深くに あると伝えられているジャンバラヤを支配しているのがサナト・クマラであり、彼の世界への入口が地球上には唯一ヒマラヤと南米と京都の鞍馬にあるとのこ と。このような伝説を語り始めると、きりがないからやめよう。ただ、僕にとっては、鞍馬という地は、天理、天河、熊野という聖地が地図上では一直線上で繋 がっている地理的な位置関係に興味がある。


はらいそ
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  月の光とジャンバラヤというキーワードで思い出すのが、最近、CDで再発された30年も前のハーリーこと細野さんのエキゾ・シリーズ最終章、そう、知る 人ぞ知る名盤「はらいそ」のB面に並んだ曲たち。“ジャンバラ通信”、“ウォーリ・ビーズ”など深い意味をもつタイトルの曲が並んでいる。このレコードも 中学か高校のとき物凄く影響を受けた1枚だった。 このアルバムが僕に与えた衝撃は計り知れない。エキゾチックミュージックの創始者のマーティン・デニー やアーサー・ライマンの存在を知ったし、ニューオリンズのGumboマスターことDr.Johnのセカンド・リズムを踏襲した“フジヤマ・ママ”というカ バー曲は、戦後、ハワイの日系人コミュニティの流行歌であったり、そして、沖縄民謡さえも細野ワールドで消化したすばらしいアルバム。日本をあらゆる角度 から外から傍観し、西洋東洋とも混血化し、かつ、ハリウッド映画に出てくる“まがい物的”な音のマンダラ世界を展開するハリー細野は音の錬金術師のごと きである。曲の面白さもさることながら、歌詞が最高に冴えている。例えば“ウォーリ・ビーズ”はこんな感じ..

 ♪逝こう帰ろうよ、月の砂漠へ

 ♪胸に植えろよ月の種を

 ♪百と八つの悩みの種、ひとつふたつ数えるたびに

 ♪ほら、体が軽くて どこでも行ける 思えば 今すぐ

 ♪Om Mani Chandraya/Santi Chandra(オーム、摩尼宝珠なる月よ、静寂なれ、月よ)

 ♪ほら、皆、解きほぐされ どこでも行ける 思えば 今すぐ

  潮が静かに満ち高まってくるような、レゲエ調のコズミックなリズムに浸された魂が舞い上がり、あくがれ出て、煩悩のしこりが解きほぐされて浄化の プロセスを辿っていく。そして魂はあらたによみがえる。ハリー細野は、このような「楽園(はらいそ)」に向かう音楽をつくりつづけている。う~ん、さす が師匠、当時からぶっ飛んでる。それにしても、たしかに現代人、特に都会の人は月明かりを全く気にしなくなった。

木曜日, 6月 09, 2005

ラスタ再び


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 思い起こせば、京都の天空まつりでの天空オーケストラのスピリチャルでラブ&ピースなステージや、あのウブドゥ村(バリ島であまりにも有名な農村、芸術村)のような美しすぎる水田風景と多くの芸術家を吸引するような強烈な磁場をもつ奈良県大宇陀町にある禅寺でのサヨコ・オト・ナラのシークレットライブが、かっての僕がラスタ・ファン!であった記憶を齢40にして再び喚起したのかもしれない。それほど最近レゲエ・ミュー ジックに再びドップリはまりつつある自分を感じる。80年代にロンドンに旋風を巻き起こしたDUB・ムーブメントのなかでもLinton kwesi jonsonのbass culturesで当時の僕は都会のラスタマン気取りだった。それにしても、これほどレゲエに夢中になるのは、大学生のとき以来かもしれない。
  レゲエ・ミュージック界を代表するグル/ボブ・マーリィの4枚組みコンプリート・ボックスの『ソング・オブ・フリーダム』は、 1960年代ロック・ステ ディ時代から、亡くなる直前までの主要なトラックすべてが聴ける嬉しいボックス。入門編としてもコレクターズ・アイテムとしても充実している。特に、個人 的には昨年亡くなったレゲエ界の大ボスCoxson DoddのSTUDIO ONEに残した初期のロック・ステディナンバーが好きだ。これから2年ぐらいはかかるかもしれないがSir,Doddの偉業を追ってレゲエがどこからやって来て、どのようにして完成されたのかを探ってみたい。
 それにしても、ボブはいい。バックのウェイラーズのすばらしさ!ザ・バンドの如き音の空間、音圧にしびれる。そこにアイ・スリーズのバックコーラスが絡むと、もうだめ(笑)、ナチュラル・ハイ状態。
 昔、インド放浪で世界各地のヒッピー君達とフレンドになったが、言葉は通じなくても、ボブとトーキングヘッズは僕らの共通のフェイバリットだった。
  そういえば、高松には80年代に登場してボブの後継者、貴公子とまで騒がれたブラック・ウフルの ボーカリスト、マイケル・ローズの弟さんのカールトン・ローズ氏と日本人の奥さん が経営する僕の大好きなレゲエ・バーがある。夏が来る前に彼らに会いに高松に行きたくなった。ブラザー・ローズがDJブースに立って選曲してくれるキングストンから届いたダンスホール・スタイルのリアル・レゲエをBGMに奥さんのジャマイカ料理とラム&マンゴーが最高なんだ。

月曜日, 6月 06, 2005

カフェ出店計画

 六甲アイランドへのカフェ出店に向け着々と準備を進めている。
店のコンセプトを練っているうちに、この街でカフェをすることの面白さを改めて発見した。この街は、首都圏以外では類稀な特異性がある。 それは、P&G本社やカナディアン・アカデミーなどがあることから、この街には外国人が極めて多いこと。その一方で、日本人との接点が極めて少ないこと。 また、彼らが集う和みの空間や日本人と外国人が接する店も皆無であること。

 出店のための店舗を探すためにリバーモールという小売店舗郡を探索したが、うまく商売をやっている店もあったが、首を傾げたくなるような店もある。
 その理由を自分なりに分析すると
○コンセプトが時流に合っていない
○情熱を感じられない
○プロ意識が感じられない
○外国人を相手に商売しようという意気込みがない
○外国人と日本人とがミックスしているという街の個性を活かしていない
○ココロが「和める空間」、「刺激を受ける空間」という本物志向が欠如している等

 僕がこの街に移ってから8年程になるが、以前に比べて店舗も減り、また、刺激的な商売をする人も少なくなっているようで寂しい。不況で住民の財布の紐がかたく、この地で商売をするのを躊躇しているのだろう。
 しかし、この街に住む人や働く人が心から安らぐことのできる空間としてカフェや自然食を提供する店があれば、この街の賑わいづくりに活路が見出せるのではないかと思う。つまり、ここに住む人のニーズを掘り下げ、それに応えていくような商売でないといけない。カフェと言うよりもサロンといった志向の店がいい。

 今年の春には島内に大規模な結婚式場が完成し、来月には大きなレジャープールもオープンして、かってのような人が集う賑わいの街に戻るような期待もあるのだが、行政任せの箱物施設で活性化を図ることには、もう限界があるはず。というのも、箱物はいつか廃れて飽きられていく運命なんだから。それよりも、住民が本当に必要としいるのは、「和み」と「刺激」を手軽に受けることのできる空間であることに違いないと確信している。


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(出店コンセプト)
神戸の国際都市の象徴、人種のメルティング・ポットでもある六甲アイランド_
国籍を越えた様々な肌の人が集い生活する日本でも稀な街_
人口島というインテリジェントで無機質な街に、LOHAS志向による新たなワールドスタンダードを目指す「和み」の空間を提供するカフェ。
基本コンセプトは、ボーダレスとネオ・フラワーチルドレン。
国境、人種、宗教というカテゴリーには捉われない、自由奔放でトラベラー、エコロジーという人たちが集う。
コーヒーは世界で最も個人消費量が多いという北欧フィンランドより味とオーガニックにこだわった一杯。
ミールは四万十から届く無農薬野菜を中心に.

土曜日, 6月 04, 2005

The Planning of Visionquest In ANEMOS-Garden


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 四万十は日本の、いや世界のネオ・ヒッピーの聖地となり得る可能性を秘めていると言って過言ではない。
日本の精神世界において天河をはじめ吉野・熊野がインドの精神世界を映した金剛界的聖地であれば、「四万十」は東洋の精神世界観をアメリカ人なりに解釈しヒッピーカルチャーを築いたサンフランシスコのような現代社会における現代人のための新たな聖地=道場という場。
  現代の若者が抱えている悩みにおいて、アメリカと日本との共通点があるはずである。アメリカ人はrockという共通言語によって、60年後半のフラワーカル チャーを彷彿 し、現在の閉塞化する社会に自由を求めていこうとしている。グレートフル・デッドが再び注目され、最近ではPhishiやWilcoあたりのジャム 系のアメリカンバンドがその流れを継承し ている。自由を求め、求めるもの同士を集結させ、時代をつくり、閉塞社会を打破しようとしたフラワーチルドレンの時代である60年後半のアメリ カ社会をもう一度再検証しなくてはならない。
  アネモスや唐人駄場のもつ強烈な気をコアにして、四万十を全国に発信し、国内のネオヒッピーを刺激したい。特に関西圏は、アメリカ西海岸の大都市ロスから サンフランシスコと同程度の時間距離であり、大阪から四万十へ週末リピーターとしてやってくる。また、この地の豊かで清らかな自然環境で育まれた 海川の幸、有機野菜などはすべて人間の体に優しく自然からのパワーを得ることもできる。人の生命の根源である食を見直すことも現代人にとっては重要な テーマである。このようなLOHAS的発想の実践の地としても情報発信していくべきであろう。
 情報発信のための媒体として、満月のフルムーンの 日には、アネモスの庭や唐人駄場にて幽玄な雰囲気のなか、スペインやイスラエルから世界的に有名なDJを招いて世界的に類のない独創的なパーティを開催 したい。このパーティは決して一過性の馬鹿騒ぎではなく、儀式として四万十の再生を祝うものである。また、四万十以外にも日本の各地の過疎地と呼ばれる奥地に潜在する日本人が忘れつつある日本らしい原風景のある場所に対しても真の再生=RESETを図るための処方箋を見つけ出すためのきっかけとしたい。

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  • このパーティは、単なるレイバー達による一過性の馬鹿騒ぎではない
  • このパーティは、かつての四万十の唐人駄場の太古の人々の霊を癒し、その地にみなぎるパワースポットを再生、修復するものである
  • したがって、このパーティは、聖なる儀式。つまり、ネイティブ・インディアンの言うビジョン・クエストなのである
  • よって、このパーティに来れる人間は、その運命を持った者に限られる。この地の「霊気」やウスバエの海に打ち寄せる黒潮の波動と同調する反復音をハウスというコンピュータによる機械を介して原始の音霊として自ら邂逅する能力が必須である
  • だから、このパーティには、最高の音や気を求める世界中から集まったオーディアンス、ヒーラー、気功師までもが自然発生的に集結するのである
  • DJ達はこれから世界的に注目されるであろうアーチストである。彼はラップトップ・コンピュータを操り、唐人駄場から受ける気をヒーリングし月のパワーや黒潮から感性を得て、次々に途切れなく大音量のもと、原始的な単調なリズムを発していくのである。
  • つまり、ここではDJやミュージシャン達は、古代、遠く南方から舟で風神の導きでこの唐人駄馬に辿り着いた船頭のように、オーディエンス達を最高潮へと誘うである
  • DJは、このパーティが運命的にこの場でプレーしていることを悟っている。そしてこのイベントが今後伝説として語られることを直感しているのである
  • 会場は、光の照明で彩られ、さながら金剛界、天国である。女性達は、アメノウズメの如く、神が与えた美しい裸体をさらけだし、怪しくエロスそのものである
  • このパーティは満月の夜をピークに1週間行われる。夜を重ねるごとに、この情報はインターネットを通じ、世界中に発信され、アネモスの庭に同じ運命を持った人間が更に集結するのである