月曜日, 4月 25, 2005

西行と芭蕉


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 吉野山の下千本から上千本までの桜が昨夜から降り続く春雨ですでに散ってしまっていたが、西行庵のある奥千本は満開の見頃だった。雨のなか、ひっそりとした金峯神社から続く山道を散策し、西行庵に辿り着いた。

 西行は、ここ奥吉野の金峯神社の近くに西行庵を結んで、三年間桜の園の中に埋もれるように暮らした。桜は吉野山の麓の辺りから、徐々に標高の高い方に向かって、花を咲かせてゆく。きっと西行は、桜の頃になると、そわそわとまるで恋人が、庵に尋ねて来るような心地で、花の開花を待ったことであろう。

 願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃
(願いが叶うならば、何とか桜の下で春に死にたいものだ。しかも草木の萌え出ずる如月(陰暦二月)の満月の頃がいい)

 
 ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ
(ずっと花を眺めているせいか、花に情が移ってしまい、花たちと散り分かれてゆくのが悲しく思われることだ)

 吉野山の山桜は、厳しい環境のなかで、豪雪と寒風に耐えながらやっと大人の木となって花を結ぶ。だからこそ美しい。 吉野山では桜は神木であり、信仰の対象でもあった。 西行は、吉野山の桜というよりも、ここに宿っている目に見えぬ祈りの華ににこそ美を見いだしたのかもしれない。


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 そして、松尾芭蕉。元祖トラベラー「旅人」。
芭蕉の生涯は、西行の辿った道を、俳諧という新しい感性をもって巡る漂流の生涯ではなかっただろうか。 自身を「旅人」と呼ばれたいという心境というものは、無の境地に近いものであったはず。栄達の夢を捨てきれず、花の都の江戸に出てきた芭蕉が、いつしか自分が、突き詰めてきた道の奥には、自分が考えもしないような深い道に連なっていることを発見したのであったのか。

 旅人と我名よばれん初しぐれ
(旅先では、ただ一言、「旅人」呼ばれたいものだ。旅に出ようと思ったらどうやら初時雨が降って来たようだ。)

 芭蕉は吉野に来る前、伊賀の兄が住む実家によって、近年亡くなった母の菩提を弔っている。この旅そのものが、母への追慕の旅でもあった。


吉野山2
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さて、私事ではあるのだが、自分自身のルーツである伊賀と日々大都会で競争社会に身を置いているという当時の芭蕉との共通点。また、芭蕉が西行の後を追って吉野山に向かったのも41歳ということ。近いうちに、伊賀と吉野山との距離感を徒歩で体感し、芭蕉の心境に近づいてみたいものだ。

火曜日, 4月 19, 2005

地方のアニミズム的な伝承を再発見し、自然と地方との新たな係わり方をプロデュースする

 日本の地方がもつ魅力とは何だろうか。よくそんなテーマについて自問する。地方が古来より伝承してきた独自の風習や宗教観、自然や神への崇拝、鬼などの見 えない物への畏怖が忘れられつつあり、バブル期にはリゾートマンションや無駄な公共事業の開発によって豊かな自然や文化の多くが失われた。また、経済や効 率化を優先する社会システムは、地方から都市への人口流出化を進ませ、地方では少子高齢化の進行、後継者不在によって祖先から受け続いてきた土地を手放す 人も多いと聞く。人が住まなくなった里山は荒れ果て朽ちていく。
 このような、地方の衰退はこれからの日本社会や自然環境へ多大に影響を及ぼすもの である。また、地方衰退は、日本人のもつ「自然を感じ、共生する心」つまり、レイチェル・カーソンの言う、センス・オブ・ワンダーの考えが忘れ去られる恐 れがある。日本人は縄文時代以前より、自然そのものを神として崇拝するアニミズム的な宗教世界があり、自然に身をおくことで生きる力や活力を得て、癒され てきた。我々は人間性の回復の場でもある自然やアニミズムの宝庫である地方の魅力や役割を再認識する必要がある。
 そこで、僕が取組んでみたいこと は、地域活性化の新たなアプローチとして、地方の本来の魅力を掘り起こすことを目的に、特定の地域コミュニティに密着に接触し、地方に伝わる伝承や祭り、 神社の神事などの宗教的神事に参加・体験させていただき、現代人が忘れかけている「人と自然との良好な関係のあり方やセンス・オブ・ワンダー的な伝承」を 現代人に訴求するテーマを見つけだすことである。また、そのテーマを広く一般や子供達へ伝承するための媒介として、地域プロデューサーという立場から地元 住民、行政、NPO等を巻き込んだワークショップやイベント等の企画立案と実践を行い、現在のお金だけを地方に落とさせる仕組みに特化した地方活性化論に 一石を投じてみたいのである。

木曜日, 4月 14, 2005

愛犬ムサシ

僕の愛犬。イングリッシュ・コッカスパニエル。名前はムサシ、かわいい。

個人的で低レベルな話

 酒をやめようと思ってから、何年経つのだろうか。夕べも気のおけない友人と深夜まで深酒をしてしまった。いくら、これから挑戦するビジネスへの熱き語らいとはいえ、酔うと気が大きくなり、抑制が効かなくなり、大切な諭吉さんを簡単に浪費してしまうという酒の恐ろしさ。以前であれば、仕事のストレス発散の機会でもあったのだが、最近は酒に飲まれている自分をつくづく感じる。特に今日のような春の心地よい日に二日酔いというのは、辛いし自分が情けない。
 ヨガとまではいかないにしても、体調や気功を整えるのには、まずは酒を断つことから始めてみよう、今度こそは、、、、、、。

水曜日, 4月 13, 2005

bonarooフェスはもうすぐ

 テネシー州ナッシュビルで開催されるbonnarooフェスティバルがあと2ヶ月と近づいている。 出演者のラインアップの全容は未だ明らかではないけど、今年の目玉は、やはり、TreyとBob Wier、オールマンっていうところなんだろうか?今回、僕がbonnarooに行く決心をした理由の一つは、その本場の空気を味わってみたいことや、日本以上に閉塞する現代のアメリカ社会において自分の価値観や『自由』を求めるアメリカ人の多くが、カントリー、フォーク、ジャズ、ブルース、カリプソといったアメリカン音楽のルーツを踏襲し心地よさを追求するjam系のバンドが多く出演するこのフェスに集結していると考えられるから。ウッドストック、フラワー・チルドレンの第二世代であり、当時のベトナム戦争下のアメリカと現代のアメリカがオーバーラップしている今、bonarooのような自由な空気を求めるフェスが盛り上がるのは当然の成行きなんだろう。jam系は、60年代からスタートしたgreatful deadから去年解散したphishやその後継者というように、世代を越えてつながっている。僕らは70年代、80年代というように年代毎にカテゴライズしたり、イギリス系だとか、レゲエ、エレクトロニカ等といった多様なジャンルを幅広く聴いてきた。実際、渋谷の宇多田町界隈は、世界で最もレコード屋の密度が高いときくし、海外のアーチスト達に言わせると日本人は最良なリスナーであるらしい。アメリカ人と日本人との音感の違いはなんだろうか?たぶん、それは自分達のルーツとする音楽を持っているか否かの差なのかも知れない。例えば、Ry Cooderは白人にして、黒人音楽の古いゴスペルやブルースを掘り起こしをし、カントリーミュージックの根源であるヒルビリーとの接点を見つけた。その後、メキシコ、ハワイ、沖縄までをも消化し、そしてキューバまでをも彼自身の音楽スタイルとして確立している。よそ者としてそれらの音楽を主観的に感じとり自身のスタイルに取り入れているようで、実は、しっかりとアメリカのルーツミュージックとの接点を掘り当てているに違いない。なぜならば、アメリカの白人は移民達であるからである。イギリスのストーンズがいぶし銀の黒人ブルースに共感するのも、アイルランドのヴァン・モリソンがソウルフルなのも、このように考えると当然のこと。
 では、日本人の僕。僕にとってのbonnarooは自分探しの旅であり、音楽の聖地巡礼の旅でもあり、僕らが幼い頃から聴きなじんできたアメリカン・ミュージックへのオマージュなのかもしれない。

土曜日, 4月 09, 2005

又兵衛桜と天益寺の枝垂れ桜

 桜前線の真っ只中の週末、奈良県大宇陀郡大宇陀町の又兵衛桜と天益寺にて花見を満喫した。大宇陀は、奈良県中部に位置する廻りを山々に囲まれた盆地にある。万葉集で柿本人麻呂が―ひんがしの野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ―と詠んだ、『かぎろい』(厳寒期早暁の気象現象)が観察できることで知られている。

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大宇陀の小高い丘に立つ天益寺(てんやくじ)は境内の樹齢350年の枝垂れ桜で知られ、かやぶきの美しい本堂がある古寺だが、99年1月に放火事件に巻き込まれ本堂が全焼し消滅した。
 このお寺で毎年桜の時期に夜桜コンサートが開催されてる。野田晴彦さんという笛のミュージシャンがお寺の再建のためのチャリティコンサートをなされている。この大宇陀の小さな山村が桜のシーズンは多くの人々が集い、ライトアップされた夜桜が夜空に浮かびあがるなか、笛の音が村中にこだまするという、何ともアーティステックで、幻想的で雅な空間に酔いしれることのできる、本当にすばらしい花見が堪能できる。
 僕の大きな後悔。それは、大宇陀に毎年このようなすばらしい桜が咲き、この雅な空間をこれまで知らなかったこと。そして、プロ、アマチュアを問わずカメラマンを魅了したという今は消滅した天益寺のかやぶき屋根の本堂をこの目で見れなかったということ。一日も早い再建を願ってやまない。

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水曜日, 4月 06, 2005

ヤンバルに行ってきた(その2)

 喜如嘉の集落のほぼ中央にある小道を、南側へ山に向かっていくと、緑の木々の中に滝が見えてくる。ここは七滝と いう拝所、つまり御嶽(うたき)。滝であることから、水神を祭っているのかどうかは定かではないが、この先からはヤンバルの深いジャングルとな り人が立ち入ることを拒むような場所に位置していることから、「ヤンバルの森」そのものをご神体としているようにも感じる。ここに居るだけでパワーがみ なぎってくるような、そんな神聖な空間です。拝所で祈りを捧げ、瞑想をしているだけで何物にも代えがたい幸福感に満たされる。

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  本来、本土の神社もこのように、神霊を迎え入れ、その意志をうかがい、祈り、祭儀を執り行う空間であったはずなのに、いつしか、神霊の常住する「建築空 間」として成立している。例えば、三輪山山麓の大神神社は、今なお建築物としては拝殿しか持たず、円錐形の秀麗な山容を御神体として、山麓にある3つのイワクラを神霊の依り憑く座として信仰されている。御嶽に立っていると、縄文時代あるいはそれ以前に、本来、神社が成立していた原型が御嶽に極めて近 かったのではないかと示唆できる。
 さて、この聖地「七滝」に向かう小道の途中に、日本野鳥の会沖縄支部事務局の市田さんが経営しているカフェ「小春屋」が ある。テラスにヤンバルのジャングルが「よっこらしょっ」て感じで迫っていて、庭そのものがジャングルと喩えられるぐらい、お茶をしながらヤンバルの 自然を堪能できるというすばらしいロケーションである。そのジャングルの庭先にもハブがウヨウヨいるらしく、市田さんも庭に出るときは長靴と飛び掛ってくる ハブをかわすための長い棒が必須であるとのこと。四季を通じて様々な野鳥が訪れるらしく、市田さんから野鳥のことや喜如嘉の文化・風土のお話しを伺っていると時間 を忘れてしまうぐらい興味深い。ヤンバルにしか生存しない貴重な自然や生態系に対し、米軍基地のヤンバルへの移転問題、政治家や沖縄開発 総合事務局の官僚達による醜い道路やダムなんかの公共事業の脅威に対し、地元の子供達や沖縄県民へエコツアーを企画し、それを媒体にして自然の尊さを知ってもらうべく啓蒙活動をなさっている。

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 カフェを後にヤンバルのジャングルを車でドライブし、沖縄北部の東海岸に辿り着き、その原始的とも言える素朴な漁村の風景に感動した。まだまだ、手付かずで、文化人類学者の研究の対象になるぐらい、沖縄の人々がインドネシアやフィリピンなどの南方からやってきたということを実感できる原風景が広がっている。今の段階では、これを言葉で表現する作業は難しいので、もう一度、彼の地に立ってみてフィールドワークを重ねてみたい。この東海岸の荒々し い海を眺めていると、ふと喜納昌吉の「東崎(あがりざき)」という名曲のメロディが頭に浮かんできた。 仮にもし、喜納さんがこの名曲のインスピレーションを受けたのが、ひっとして、この沖縄北部の東海岸であったのではないのか、とさえ思えてくる。ニライカナイという 伝説の神の島に対するオマージュを若き喜納さんが感じ取ったとすれば、その同じバイブレーションを僕もほんの少し感じることができたような気がする。そ んな訳で、その日の夜は那覇に戻って、喜納さんの経営するライブハウスで喜納さんのお姉さんが歌うエイサーのリズムに酔いしれ、踊り明かし、100%満足 のオキナンチャーの旅が終わった。

月曜日, 4月 04, 2005

ヤンバルに行ってきた

 4月に入り年度末の締め切り仕事も一段落したところで、4月1日~2日にかけて沖縄の北部エリア、いわゆるヤンバルに行ってきた。前日まで那覇市でクライアントとの打合せがあって、そのついでに今まで訪れたことのなかったヤンバルを旅した。
 沖縄には仕事で何度も足を運んだが、特に今年の冬には週一回ぐらい頻繁に出張した。沖縄は僕の大好きな場所ではあるのが、何故だか最近、沖縄の滞在中は体調が悪くなり極端に気だるく、偏頭痛に悩まされ続ける。たぶんこの原因は、冬は寒いという僕らの常識や関西で生活をしてきた祖先から引き継いだ遺伝子やDNAの条件下において、突如、飛行機で瞬時に移動して真冬なのに熱帯気候に体を置くことの違和感であろうかと思われる。関西空港ではコートを着ていたのに2時間後には冷房が必要なぐらいの暑さと湿度の極端な環境の変化にウンザリ。ちなみに、今年の2月初旬の大雪が降り関西地方の交通網の大部分が麻痺した日に、天河神社の新年祭に参加したが、道中、冬山のドライブの経験もなく、生まれて初めてタイヤチェーンを装着しての積雪40cmの白銀の天河に何とか辿り着いた。-10℃ぐらいの酷寒の天河であったが、その寒さというのは、かえって血流の流れが活性化され頭が醒めて心地よさとなった。そう考えると、四季のある日本は「冬は寒く、夏は暑いがよい」という格言は的を得ている。近年の地球温暖化による異常気象は我々の知らぬうちに身体面や精神面で蝕んでいるのではないだろうか。
 さて、話をヤンバルに戻し、先ず最初に訪れたのは日本で一番の長寿の村で、ヤンバルの入口にある大宜味村である。ここはすばらしかった!結論から先に言うと沖縄のすべての原点が詰まっていると言って過言ではない。喜如嘉(ぎじょか)という集落は、芭蕉の産地で今でもすばらしい芭蕉布を織る元気なおばあさん達が住んでいる。また、集落の景観も沖縄らしい漆喰の赤瓦も多く残っているし、古い家の原型を残しつつリフォームしたり、新築の家も伝統的な沖縄住宅にマッチした家屋であって、住民が暗黙でこの伝統的な失われつつある沖縄らしさの景観の保全に努めているような心意気を感じる。本当にいい気で溢れていました。

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