水曜日, 4月 06, 2005

ヤンバルに行ってきた(その2)

 喜如嘉の集落のほぼ中央にある小道を、南側へ山に向かっていくと、緑の木々の中に滝が見えてくる。ここは七滝と いう拝所、つまり御嶽(うたき)。滝であることから、水神を祭っているのかどうかは定かではないが、この先からはヤンバルの深いジャングルとな り人が立ち入ることを拒むような場所に位置していることから、「ヤンバルの森」そのものをご神体としているようにも感じる。ここに居るだけでパワーがみ なぎってくるような、そんな神聖な空間です。拝所で祈りを捧げ、瞑想をしているだけで何物にも代えがたい幸福感に満たされる。

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Originally uploaded by mitsu_nakamori.

  本来、本土の神社もこのように、神霊を迎え入れ、その意志をうかがい、祈り、祭儀を執り行う空間であったはずなのに、いつしか、神霊の常住する「建築空 間」として成立している。例えば、三輪山山麓の大神神社は、今なお建築物としては拝殿しか持たず、円錐形の秀麗な山容を御神体として、山麓にある3つのイワクラを神霊の依り憑く座として信仰されている。御嶽に立っていると、縄文時代あるいはそれ以前に、本来、神社が成立していた原型が御嶽に極めて近 かったのではないかと示唆できる。
 さて、この聖地「七滝」に向かう小道の途中に、日本野鳥の会沖縄支部事務局の市田さんが経営しているカフェ「小春屋」が ある。テラスにヤンバルのジャングルが「よっこらしょっ」て感じで迫っていて、庭そのものがジャングルと喩えられるぐらい、お茶をしながらヤンバルの 自然を堪能できるというすばらしいロケーションである。そのジャングルの庭先にもハブがウヨウヨいるらしく、市田さんも庭に出るときは長靴と飛び掛ってくる ハブをかわすための長い棒が必須であるとのこと。四季を通じて様々な野鳥が訪れるらしく、市田さんから野鳥のことや喜如嘉の文化・風土のお話しを伺っていると時間 を忘れてしまうぐらい興味深い。ヤンバルにしか生存しない貴重な自然や生態系に対し、米軍基地のヤンバルへの移転問題、政治家や沖縄開発 総合事務局の官僚達による醜い道路やダムなんかの公共事業の脅威に対し、地元の子供達や沖縄県民へエコツアーを企画し、それを媒体にして自然の尊さを知ってもらうべく啓蒙活動をなさっている。

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Originally uploaded by mitsu_nakamori.


 カフェを後にヤンバルのジャングルを車でドライブし、沖縄北部の東海岸に辿り着き、その原始的とも言える素朴な漁村の風景に感動した。まだまだ、手付かずで、文化人類学者の研究の対象になるぐらい、沖縄の人々がインドネシアやフィリピンなどの南方からやってきたということを実感できる原風景が広がっている。今の段階では、これを言葉で表現する作業は難しいので、もう一度、彼の地に立ってみてフィールドワークを重ねてみたい。この東海岸の荒々し い海を眺めていると、ふと喜納昌吉の「東崎(あがりざき)」という名曲のメロディが頭に浮かんできた。 仮にもし、喜納さんがこの名曲のインスピレーションを受けたのが、ひっとして、この沖縄北部の東海岸であったのではないのか、とさえ思えてくる。ニライカナイという 伝説の神の島に対するオマージュを若き喜納さんが感じ取ったとすれば、その同じバイブレーションを僕もほんの少し感じることができたような気がする。そ んな訳で、その日の夜は那覇に戻って、喜納さんの経営するライブハウスで喜納さんのお姉さんが歌うエイサーのリズムに酔いしれ、踊り明かし、100%満足 のオキナンチャーの旅が終わった。

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