月曜日, 2月 27, 2006

Konono No. 1


Konono No. 1
Originally uploaded by The Cedar.

 今夏、アフリカのコンゴから最大級のハリケーンが日本に上陸する。Konono No1というバンドだ。
 ディープでコアな正真正銘な伝統的アフリカン・ミュージックで、親指ピアノを主体とする大音量の轟音。これまでのワールドミュージックのような商業ベースで生温いカテゴリーには収まらない、力強く、限りなく黒い音。
 これはかなりヤバイ。 要注意!


木曜日, 2月 23, 2006

City Of Kita-Kyushu


Coheed & Cambria
Originally uploaded by Ander X.

 北九州に新規プロジェクトを介して新たなご縁ができた。福岡市に次ぐビッグな街である。岡本太郎展が開催されていたり、来月に北九州空港がオープンするなどで街全体が活気に溢れていた。

 この街は、九州一の工業都市として栄えていた。また、後背地には炭鉱の筑豊があるなど、博多が商業都市であるのに対し、こちらはかっての労働者の街。イギリスのマンチェスターのような匂いがする街なのだろう。

 マンチェスター。僕にとっては憧れの音楽都市でもある。ザ・スミス、モリッシー、ニューオーダー、、、不思議とこのブログに綴ってきたマンチェスターを拠点に活躍する大好きなイギリスのミュージシャン達。そういえば、北九州にもライブハウスや音楽スタジオ、楽器店などがやたらと目に付く。きっと、ローカルに支持されて活動しているアマチュア・ミュージシャンも多く住んでいるのであろう。この街での新たな出会いに期待大である。

 また、4月は、細野さんが70年代の日本のフォーク・ロックの金字塔的アルバム「HOSONO HOUSE」のリバイバル・ツアーがお隣の博多で行われるように、この地で何か大きな動きが始まろうとしているのかもしれない。

 それと、前述の北九州空港からは海外へ唯一ロシアとの直行便が就航するとのこと。全く正反対な風土や個性を持つ2つの都市であるはずなのに、その組み合わせが刺激的で興味深い。

 ちなみに、北九州とのご縁は、昨年の秋に訪れた「宗像神社」からだ。

水曜日, 2月 22, 2006

岡本太郎を考える


Taking Photo 02
Originally uploaded by tokyo ayano.

岡本太郎展の衝撃が抜けない。頭の中は、太郎の世界で溺れている、そんな一日だった。
 i-podで、serge lopezというスペインの新人アーチストの新譜を聴く。ラテンの血が騒ぐような情熱に溢れた音楽だ。スパニッシュ音楽をベースに、フラメンコ、ジプシー、北アフリカ、そしてブラジルまでも彷彿するミックスカルチャーな地中海音楽であり、粘っこいフラメンコ・ギターの響きにつられて魂は解放され体は自然と躍動する。日本に生まれた自分でさえ、どこかDNAに刻まれているかも知れないラテンの情熱を奮い立たせる。

 岡本太郎も、絵画や彫刻を通じて、日本人にもある「ラテンの情熱」を縄文パワーによって爆発させたかったに違いない。彼は、筆を持つミュージシャンだったのである。 そう考えると、岡本太郎を理解しやすい。

月曜日, 2月 20, 2006

岡本太郎・北九州展


こどもの樹
Originally uploaded by anzyAprico.
岡本太郎・北九州展。
 太郎が芸術に捧げた情熱や彼の魂を感じることができる素晴らしい展覧会であった。
 彼の有名な言葉、「芸術は爆発だ」、「爆発は戦いだ」の意図するところを垣間見るができた。伝統や効率という全体主義に対する前衛による戦いであったり、現代社会において、人が人らしく生きる権利への戦いである。
 日本人は縄文人の優れた感性を見直すべきであると主張する。だから彼の芸術は縄文人による爆発であり、その爆発が彼自身の精神の内面のみで収まるのではなく、外に向けて発していくポップ・インダストリアル・デザインなのである。その手法は不気味な「呪術」である。
 戦後、留学先のパリから帰国し、戦火で荒廃した日本に嘆き悲しみ、日本を再発見するため、全国各地を勢力的に旅をする。イタコ、民間信仰、山岳信仰、そして熊野の地へと。そこで縄文文化に触れていく。日本人の根底に眠っている縄文人のみなぎる生命観の力強さを求め、神社や聖地を憑かれたように巡っていく。そして、1957年。ついに沖縄の久高島のノロ(シャーマン)やウタキ(聖地)と出会い、彼の縄文への憧れは決定的なものとなる。
 彼のメッセージは、一貫している。「現代の日本人で、まともに生きようと努力している人間はいない。生活に遊びや情熱がない。だから、僕は縄文人の呪術を使い日本人にメッセージを送り続けているのだ」。天国にいるはずの太郎の魂と北九州で出会えたようなすばらしい感動。