火曜日, 5月 31, 2005

風神海岸(アネモス・コースト)と北代氏(その2)


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 四万十に住む友人の濱田君が僕をこの唐人駄場とアネモスの庭に連れてきてくれ、そして北代氏を紹介してくれた。北代氏に初めてお会いしたのだが、彼の口から彼自身が末期の癌という不治の病であること、そして余命3ヶ月という事実を告白された。偶然にも僕の父親も同じ病に侵され余命僅かという辛い悩みを抱えていた時期であった。このような心境の時に北代氏とめぐり合えたというのは、まさに運命的なことである。北代氏の凛とした「死」を受け入れた清清しい姿勢は、誰もが容易く真似をできるものではない。逆に、このような境遇にある中、初対面の僕に対し父親の死を現実として受け止めることの勇気を与えてくれる素晴らしい方である。
 彼の発する言葉は、唐人駄馬そしてアネモスに宿る神々からのメッセージを彼の口をかりて伝えているように思える。神に仕える神道の宮司やシャーマンのようである。
 『人間の魂に響くものこそが本物である。そんな本物を創造していってほしい』という北代氏のメッセージは、唐人駄場とアネモスのすばらしいさを世に伝えること。つまり、人間の魂を癒すことのできるパワーが溢れるこの聖地の存在を世界に発信し、そしてここに宿る神々のメッセージを広く世に伝えていくことを宿命として僕達に託された。北代氏のスピリットはアネモスの巨石に永遠に刻印されていくのであろう。近い将来、この場所に必ず存在するサムシング・グレートによってアネモスの庭へ世界中からその使命を受けた人々が終結してくるはずである。その手伝いを我々が任されたのである。僕と濱田君の今後の進むべきロードマップを示していただいた偉大な一日であった。そして、数日後、僕の尊敬すべき父が天国へと安らかに逝った。北代氏が説いてくれたように父の魂はいつも自分の近くで見守っていてくれるような気を現実として感じているのである。

風神海岸(アネモス・コースト)と北代氏


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  足摺岬に世界最大規模と言われるストーンサークルの唐人駄場がある。海岸線の道路脇に車を停めて、海へアプローチする急斜面の崖を降り、木々のトンネルを わたりきると竜宮神社がみえ、やがてウスバエ海岸が眼下にひろがる。赤道付近のフィリピンあたりから八重山諸島や琉球諸島を経由し北上した黒潮という龍体エネ ルギーはこのウスバ エ海岸にたどり着く。衣服を脱ぎすてて、海に浸 かり禊をしたいという衝動を押さえきれなかった。八重山諸島や慶良間諸島のような黒潮独特の透明なマリンブルーの海の色は、ここが四国であるということ が信じられないぐらい美しい。神戸の自宅を早朝に出発し、新幹線と瀬戸大橋を渡るJRのローカル特急を乗り継いだだけの移動距離であることを全く感じさせ ない。水面で仰向けとなり、全身の力を完全に抜き、まるで胎児のごとくウスバエ海の羊水に浸かり安心感と幸福感に満たされながら浮力と海流に身をまかせて 雲をぼんやりと眺める。そして、先ほど降りてきた海岸の崖に連なる岩の美しさに改めて感動する。この時点で頭の中は空白となり意識は覚醒し、これから向か う北代邸のアネモスの庭を鑑賞するために精神を整える。
  北代邸は亜熱帯植物が茂るジャングルの中にある。邸の庭そのものが古代人が配した巨石郡で北代氏が新たに石を配置したり若干の手入れをしたものである。目 線では判らぬが上空からみるとこの巨石郡が水神(アネモス)が象られている。「神々の指紋」の著者グラハム・ハンコック氏もここに訪れたという未だ現代人 には解明できない古代人のロマンや謎を刻印した場所でもある。北代氏はこれらの事実を知らぬまま、おおよそ三十年前から神の啓示を受け、この石郡の復興を ライフワークとしてこの地が持つ不思議な磁場の整えを一人細々と続けてこられ、ほぼ、彼のイメージ通りの作品としてようやく完成したそうである。

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木曜日, 5月 19, 2005

元禄時代のトラベラー、芭蕉が教えてくれたこと


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芭蕉の「不易流行」という思想が好きだ。
変 わらぬものと常に変わりゆくものが絶妙なバランスで対置している関係。つまり、「変わらぬもの」と「常に変わりゆくもの」そして、そのバランスを保つ中間 をなす目に見えない存在の三位一体が均衡していることこそ東洋の美である数奇(奇数)を表す宇宙観なのである。日本人の美意識は、動と静、過去と未来、かっこよ さとダサさと言った対極と、それに加えて、目には見えないものを心で感じ、そのバランス感覚こそが「侘び寂び」として重要なものと捉えてきたことではなか ろうか。
 芭蕉はこんな言葉を残している。
『不易も流行も、元をだどれば、ひとつのものである。不易ということを知らねば、基本を抑えた句を詠むことがはできず、流行ということを知らねば、詠んだ句の風体(姿)というものが、新しく見えることはない。』

 いやいや、この言葉だけでは不充分だ。芭蕉の説く不易流行とは、つぎの句の境地ではなかろうか。
 
 ○閑かさや岩にしみいる蝉の声

  蝉とは、儚き命の象徴であり、また、岩は墓石を指す。静けさは、あくまでも芭蕉個人の主観のなかで、蝉の音がとぎれて何も聞こえなくなった心境を「閑か」 と表現したものであろう。 不易と流行が岩の中でとけ込んで、一体となることを凍るような思いで悟った心境がこの句であるという。

  人間の魂の記憶やメッセージが鉱物という媒体に刻印され、永遠に後世へメッセージを残していくという考え方がある。神社のイワクラは縄文時代以前の太古の 人々が巨石に神が宿り、信仰のシンボルとした。この信仰は、世界各地にストーンサークルがあることから世界共通のものである。

  そう言えば、先日、世界的規模のストーンサークルが存在する足摺岬の唐人駄場に行ったが、巨石あるいはその磁場から発せられる「気」により魂が鎮 められた体験をしたことを思い出した。パワーストーンから発する古代人のメッセージをチャネリングするクリスタル・ヒーリングも同様だ。
 
 ところで、俳句が時間という二次元を超えてその人の心境を5・7・5という言葉の水晶体に凝縮し永遠に伝えていけると云う可能性。また、足し算ではなく引き算というミニマルの美しさに西洋にはない日本の美意識。
 唐突ではあるが、このような不易流行やミニマルの視点で日本のファッション界で唯一展開している『ユニクロ』の今後の動向に注目し応援したい。

 

月曜日, 5月 09, 2005

大峯修験道 奥駆けの道 


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  この写真は、山上ヶ岳山頂から望む吉野熊野七十七靡のご来光と雲海。神々しく美しく心が清められるようだ。この写真をネットで公開しているが、たまたま、 この写真をみたインド人からも「美しい」とコメントをいただいた。七十七靡の山々には役の行者が体得したインドの神々の名が付く峰々が連なっていることから、偶然とは言え、不思議だ。星の数以上あるネット上の写真からこの写真にアクセスしたということ自体、凄いことだ。
 『大峯修験の道 奥駆けの道』をあまりにも軽く考えすぎていた自分に反省。
  吉野山から熊野へと続く修験の道。1300年前に役の行者が開いた神々が降りる修行の場。そのメッカである山上ヶ岳は、まさに龍の頭。山上ヶ岳から吉野山 までの修験道は龍の体と喩えられ、熊野にかけての全ての行程が険しい山岳の道無き道を這いずりながら命がけで渡らねばならない。
 山の高度も高 く、尾根道と断崖絶壁の連続で一瞬の油断がまさに命取りとなるこの登山道は、岩にしがみつき、極度の緊張感のなか、肉体を全開で駆使することで、精神性を 高めるという修行である。現在の登山において、これほど険しく未整備な登山道は他に類をみないのではないだろうか。
 大げさではなく、登山中は何 度も死を覚悟し、岩にへばりつき一歩一歩進んでいった。そして、下山後の清々しさは喩えようがない。山岳信仰、修験道をほんの少し体験できる貴重なGWで あった。ちなみに、自分にとっては、20年前のインド旅行と匹敵するぐらいのインパクトがあった。