金曜日, 1月 07, 2011

正月ボケの効用


《2007年10月インド ウッタランチャル州ディラドンのカギュ派寺院にて》

毎年のことなんだけれど、正月を過ぎると、どうも体内時計がおかしくなる。
たぶん、これまでのサラリーマン時代に、正月明けから本格的に年度末に向けた戦闘体制に入って、1月からの3ヶ月間は昼と夜が逆転した生活を20年間も続けてきた習慣が抜けきれないからだろう。だから、習慣ってやつは怖い。
こういう時は、体のサインを素直に受け止めて、早く家に帰って、早めに眠りつくに限る。
今年の正月は、特に、それらしい正月モードで過ごしたわけでもないのに、正月ボケっていうやつは、長年の習慣からきているようだ!

さて、そんなエンジンがフル回転できなくて、もどかしい自分だが、こういう時こそ、今一度、自分の人生ってものを思案するいい機会でもある。

例えば、僕たちは何のためにお金を稼ぐのか。

一生懸命勉強し、お金を儲け、子供を産み、家を買う。
なぜ? その答えは、全て「安心感」がなく、将来何処に行くか分からないからである。故に、自分の心に安定と安心を感じ得ようとする。しかしながら、僕たち人間は、この「安心」を買うために、手段を選ばず他人を傷つけ、時として悪因の種を多々蒔く。

例えば、僕が20年間勤めてきたコンサルタント会社で、僕はエンジニアとしての能力を社会に開花させ、そして、公共事業を通じて社会貢献をしてきたと思ってきたが、これも結局は驕りである。僕がプランニングした事業によって、確かに多くの人々の生活は便利になったかもしれない。しかしながら多かれ少なかれ、その地域の自然環境やそこに住む人々の文化や地域コミュニティは傷つき失われダメージを与えてきたのも事実だ。
それでは、今、自分が関っている地域活性化はどうだ?!
地域再生のためには、負け組といわれる負の要素がでてきても、それは良しとするのか?

兎に角、先ず取り、儲けて、問題があれば後ほど解決しようする。これは全人類の多かれ少なかれの共通した罪だ。
僕は、これから自分の事業を通じて、このカルマから離れて、悪因を取り除き善の種をまく仕事をしたいと本気で思っている。
全ての人類が幸せを得るためには、善に向かう道を模索することからはじめるしかない。
そんな大それた課題は、正月ボケの今しか、真剣に思案できる機会はない。
(この日記には、リンチェンドルジェ・リンポチェのご法話の内容が含まれています)

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