木曜日, 1月 06, 2011

路線バスの国際化

これからは路線バスも外国人観光客のために言語バリアフリー化が進んでいくばす。
液晶運賃表示システムと音声合成放送が搭載されているバスには、英語、中国語、韓国語等が併記されたバイリンガル化を早く実現してほしい。





火曜日, 1月 04, 2011

LYRICS-The Motorcycle Song

The Motorcycle Song
words and music by Arlo Guthrie

CHORUS:
I don't want a pickle
Just want to ride on my motorsickle
And I don't want a tickle
'Cause I'd rather ride on my motorsickle
And I don't want to die
Just want to ride on my motorcy...cle

It was late last night the other day
I thought I'd go up and see Ray
So l went up and I saw Ray
There was only one thing Ray could say, was:

CHORUS

This song is about the time that I was ridin' my motorcycle.
Going down a mountain road, at 150 miles an hour, playin'
my guitar. On one side of the mountain road there was a
mountain, and on the other side there was nothin' - there was
a cliff in the air.

Now, when you're going down a mountain road at I50 miles
an hour you gotta be very careful, especially if you're playin'
a guitar. Especially if that guitar is an acoustic guitar.
Because if it's an acoustic guitar, the wind pressure is greater
on the box side than on the neck side, because there's
more guitar on the box side. I wasn't payin' attention ..

Luckily I didn't go into the mountain - I went over the cliff.
I was goin' at 150 miles an hour sideways and 500 feet down
at the same time.

I knew it was the end. I looked down, I said ''Wow! Some
trip". I thought it...well I knew it was...I knew it was my last
trip, and in my last remaining seconds in world,I decided
to write one last farewell song to the world.

Put a new ink cartridge in my pen. Took out a piece of paper.
I sat back and I thought awhile. Then I started writin':
I don't want a pickle
Just want to ride on my motorsickle
And I don't want a tickle
'Cause I'd rather ride on my motorsickle

And I don't want to die
Just want to ride on my motorcy ...cle."

I knew that, it wasn't the best song l ever wrote, but I didn't
have time to change it. I was comin' down mighty fast.

But as you all know, and as fate would have it, I didn't die. I
landed on the top of a police car. And he died. I drove away
on the road that he was on. I came into town at a screamin'
175 miles an hour, playin' the motorcycle song.

I came into town, I jumped off my bike, the bike went around
the corner by itself, went up on the stand by itself, turned
itself off.

I walked over to my friend. He was standin' there eatin'
pickles. I said "Hi, what's happenin'?" He looked at me in the
eye and said "Nothin'".

You gotta sing it with that kind of enthusiasm. Like you just
squashed a cop...

CHORUS

©1968,1969 Appleseed Music Inc. (ASCAP)

2011年スタートです



正月も終わり、本日より2011年の仕事がスタート。
正月のプチ冬眠から徐々にエンジンを始動させて、ようやく愛犬と一緒に眠るホカホカのベッドから抜け出すことができた。
皆さんは、もう冬眠から目覚めましたぁ?!

遅い朝食をとってから愛犬と散歩していたら、公園で幼い子供がいる若い家族が柔らかい日差し下、最後の正月休みを満喫していた。

携帯電話には、もう何件かの着信履歴が入っていた。本当、こういうのをみると、携帯のない時代に戻りたいよねっ。
こっちは、濃いめのミルクティーをいれて、ゆっくり2011年のスタートをきっていこうって思っているのに、携帯はそんなシチュエーションなんておかまい無しに割り込んでくるのだから。。まったく!

さてさて、昨年の2010年は、仕事が本当に多忙なため、音楽も聴いている余裕もなくって、この正月は、少しずつ昨年のアメリカを中心とする音楽シーンをチェックしていたんだけど、ほとんど変化なしのマンネリ。
まあ、youtubeの時代になって、あえてCDで音楽を楽しむということの必要性が、ますます無くなってきたということか。
確かに、2011年、今の自分の気分は、1975年のこのアロー・ガスリーのパフォーマンスと観客との間にある空気こそ、全くもって新しく、そして、かっこいいと思うのだ。

月曜日, 1月 03, 2011

特別な一日

本日、僕のチベット仏教のグル、リンチェンドルジェ・リンポチェと約半年ぶりの再会をした。
そして、リンポチェとともに来日された台湾、ニュージーランド、インドからの180人もの兄弟子や姉弟子とも懐かしい再会ができた。僕にとっては、何よりも嬉しくて幸せな一日だった。
こうして各国から大勢で日本に訪れてきてくださった訳だから、迎える側の唯一の日本人弟子として、もっと仏法を学び、日々精進せねばっ、と改めて反省をした。

台湾人とニュージーランド人のお二人の姉弟子とお話したなかで、目から鱗の言葉を頂いた。
それは、「私たち弟子達はリンポチェに守られているので、ビジネスに失敗することなどありえないし、不慮の事故や大病に罹って死ぬこともない」というもの。
つまりはこれは、「大船に乗ったつもりで、日々の出来事に一喜一憂浮き沈みしてないで、仏法に精進することを第一としていなさい」っていう意味が込められたメッセージ。もうこの言葉で、視界は完全クリア。何一つ悩むことなどないだろう。ありがとうスーション(弟子仲間)!
翻って、確かに、僕がリンポチェの弟子になってからは、ビジネスで何度も絶対絶命の危機に追い込まれながらも、不思議と多くの恩人たちによって救われてきた。

そしてリンポチェは、「お前達の悩みは、“お金”、“ビジネス”、“愛情”、“健康”のいずれか。仏法の相談ならまだしも、そのような悩み相談など時間がもったいないので私に持ってこないでほしい(笑)。」人生の悩みをカテゴライズすると、確かに、この4項目に集約される。

一見こう冷たく言い放つリンポチェではあるが、ニュージーランドの新聞で、「かつてリンポチェが医者が見放した末期癌に侵されたテレサ・ウェイさんを不思議な力で救った」ことが紹介されている。
当時、テレサさんは体重が29kgしかないほど衰え、そして死の淵に立たされていた。
そんなテレサさんがチベット仏教に帰依しリンポチェの弟子となり仏法に精進することで、死という大災難からも救われたばかりか、経営者としてビジネスでも大成功された。

今日、そのテレサさんもリンポチェとともに来日されていて、直接ご本人ともお話したが、今では体重が3倍に増えたと大笑いし、すっかり癌も消えて元気に回復され、台湾を拠点に、日本、インド、チベットに支店をもつグローバルな旅行会社の社長としてご活躍されている。
テレサさんも僕にとっては姉弟子の1人で、実は、他の兄弟子や姉弟子の多くが、このようなリンポチェの慈悲による不思議なご縁によってご自身や身内の方の命を救っていただいたという方が多いのである。

興味がある方は、是非、下記ホーページへアクセスされたい。
http://www.gloje.org/jp/

さて、香港生まれで現在は台湾で活動されているリンポチェが、日本を第三の故郷のように愛してくださっている。
秘書の方のお話では、日本の地域活性化の一助となるような事業をご支援されたいとのことで、日本人弟子として、このテーマで今年こそはリンポチェのお役に立てれば!って願うばかり。

日曜日, 1月 02, 2011

明けましておめでとうございます


明けましておめでとうございます。
2011年が皆様にとって素晴らしい1年でありますことをお祈りいたします。
世界の平和、景気回復、地球環境問題の解決、そして、人類と全ての生きとし生けるものが幸せでありますよう。
今年もよろしくお願いします!

金曜日, 12月 31, 2010

久しぶりの音楽三昧



俺って、本当に音楽が好きなんだなぁて思う。
ここ最近、余裕がなくて音楽を聴く暇もなかったので、久しぶりにいろんなことから解放されたからか、今夜はオールナイトで音楽三昧。
なんとかハイってやつです、はい。結局、朝までCD鳴らしっぱなし!
寝ずに朝までロック聴いてるオヤジって、このコンサバなお隣近所の界隈では俺以外には居ないだろう、きっと。

ディランから、デベンドラ・バンハート、XTCに、そして60年代イギリスのアシッド・フォークのFairport Conventionまで! 
フェアポートのSandy Dennyのようなフォーキーなフィメール・シンガーがたまらなく好きなのは、どうやら、先日このブログで書いた83年のジョニ・ミッチェルの来日公演の体験が潜在意識かDNAに染み付いていることが、ようやくこの歳になって判明。音楽などの嗜好の源流を発見する、これはある意味で新たなブログ効果を発見。

XTCの89年の“オレンジズ・アンド・レモンズ”をかなり久しぶりに聴きながら大晦日の夜明けを迎えそう。
そういえば、このバンドって休止中なのかなぁ。99年の“アップル・ヴィーナス2部作”以降は新作がない(アンディ・パートリッジはマイナーレベルからソロが出てるみたい)。
ビートルズが再ブームな今、ビートルズの新譜が届くことなど絶対にありえないという欲求不満に応えてくれる唯一のバンドなんだもの。
来年あたりは、XTCの80年代後半から90年代にかけての仕事(ビートルズのそれもポール・マッカートニーの追っかけに徹して多くの優れた作品が作られてきた)が再評価されそうな予感。

では、おやすみなさいZzz

木曜日, 12月 30, 2010

Hop、Step、そしてJumpの年へ


もうすぐやってくる卯年の来年はジャンプの年。つまりは飛躍の年だ。
だからこそ寅年の今年は、来るべき2011年の飛躍の年に備えて虎視眈々と着実に準備(step)をしておくべき年だったわけで、翻って自分が経営する会社を軌道に乗せるために、自分なりに背伸びしながら日々よくがんばってきたつもり。
客観的にみて、今年はとてつもなくリスクが高いイバラの道を選んだ結果となったけれども、これほどまでの困難と苦悩を受入れ、我慢しながらも全うできた自分を褒めてやりたい。そして、共に苦労したスタッフにも。
みんな!おめでとう、成長したねっ!

寅年の今年も明日まで。
明日こそはようやく仕事納めだ。
今年やり残した仕事がないか、もう一度チェックしてから、誰もいない静かなオフィスで、ひとり大掃除をする。
これは、社長になってからの毎年の大晦日の恒例行事。
今年のいろんな思い出がつまったオフィスを隅々まで掃除する。
スタッフへの感謝の気持ち込めながら机の回りとかを奇麗にする。これって、少し前には流行った“掃除力”ってやつ?

ベンチャー企業は起業後1年以内で半分ぐらいは消え去り、そして、3年で8割だかの確率で倒産していく厳しい現実と競争社会のなかで、
来年で5年目を迎えることができる我が社は、幸運そのもの。
“君の道は決して途絶えることないから、頑張りなさい”って予言してくださった我がグル、リンチェン・ドルジェ・リンポチェのこのお言葉だけが僕にとっては唯一の頼りだったし、この言葉のおかけで、これほどまでに大胆かつタフになれた。グルには感謝の念に絶えない。

今年になって失ったものもあまりにも多く、来年はもっと大きな何かを失うような予感(村上春樹的な喪失感)。
でも、新しい何かを手に入れようと思ったら、何かを手放さないといけない。
来るべき幸せのギフトが大きければ大きいほど、今大事にしている大切なものを失うだろう。
過去の自分に執着せず、変化を受入れよう。
これが、仏教で言うところの無情と因果応報。
幸せというギフトは、事業や人生の成功のあとでやってくる。
だから、手放すことを怖がらないで、事業に精を出し、家族と友人を大切にして、正直に生きて、幸せの種を蒔いていこうと思う。

自分のできる範囲で精一杯がんばる。これこそが“世のため”“人のため”へとつながる道。

もちろん、そこには、利他心や慈悲という仏性を発願しないといけない訳だが。
仏教に帰依し、起業家になってみて、そしてこの歳になって、ようやくそんなシンプルで大切なことを悟った次第。

では、みなさん、良いお年を!

まったく、、!

まったく、もう!
今朝も嫌な電話で1日がスタート。みんな不景気なこの年末でナーバスになってないかい? take it easyでいこうよ。この嫌な気分を一日中引きずってしまって、年内には片付けたかった仕事も捗らなかったよ、まったく!

↓こんな感じのBGMで終日が終わった師走。まぁ、こういう日もあるさぁ。気分転換で明日は仕事納めよっと。
“Everything I cant have”by Robin Thicke


i need LOVE.

火曜日, 12月 28, 2010

めっけもののアッサム


近所の輸入食材店で偶然にみつけたアッサム紅茶。
400gで1580円なり。
インド産のノンブランドのお茶で葉っぱも大きめ。
これでも他のウバとかダージェリンよりも値段は2倍ぐらい高めだが、よく売れている。
神戸に住むインド人が買ってるのだろうか?

で、実際に飲んでみて、ビックリの美味しさ。
芳醇でコクのある味がミルクによく合うよく合う。紅茶好きの娘も感動。

この味は、インドで飲むチャイ屋さんの味そのものですわ!
インドの気品が漂うスパイシーさとエレガントさ。
そして、決して渋くならないのも、まか不思議。

いつもはテーカップで上品に飲むのだが、インドのチャイ屋の兄(あん)ちゃんがいれてくれるようなガラスコップに砂糖多めにしてみたら、
おいおい、ここはニューデリーかぁ、それともオールドデリー?!の世界。

データ:“CANNONS ASSAM TEA”総輸入者キャノン・インペックス インク

こちらで買えます、。ナマステ。
http://www.kobegrocers.com/

37世チェツァン法王のインタビュー映像



僕の崇拝するチベット仏教カギュ派37世チェツァン法王の貴重なインタビューがyoutubeにアップされていた。
撮影したのはロシア人。2009年にインドのラダックにて撮影されたようだ。

質問内容は、「なぜ現在、これほど多くの西洋人が仏教に関心をよせるのか」、「他の宗教についての意見」、「西洋人がキリスト教徒のままで仏教に帰依することはできるのか(答えはNo!)」、「仏教とは何か」の4項目。

チベット仏教4大宗派のなかでも仏教の実践を重要視するカギュ派の信者のなかには欧米人も多く、法王自らが仏法を世界に広げより多くの衆生を救うため世界各地を回られており非常にご多忙な身である。
このビデオでは法王のお人柄がよく現れている。初めてチベット仏教に触れる人に対して、とても深い内容ではあるものの、平易な言葉を用いられて、例を交えながら、わかりやすく解説されている。

ほんの一例として、「先進国では日々テクノロジーを進化させて確かに生活は便利となった。しかし、心と精神が追いついていない。人間は「物質」と「心」の2つのバランスがとれてないといけない。だからこそ、さらに技術革新が進んでいく21世紀は、より心と精神の重要性を見つめ直すことことが必要となろう。このことが物質文明が進む欧米社会で仏教が受入れられている一因でもある」というようなお話。

月曜日, 12月 27, 2010

流れには逆らわず

今年最後の週のスタートの日。
いろいろな問題が一挙に押し寄せてきて、気持ちが焦るばかりで、うまく交通整理ができなかった。
こういう日は、流れに逆らわず、自分の出来ることだけに集中して事務的に粛々とこなすに限る。
そう言えば、昼ご飯を食べ損ねていた。
夕方6時に一旦自宅に戻り、娘と一緒に晩ごはんを食べてから、1時間程の睡眠をとって、再びオフィスに戻ってからもメールの返信に時間を費やされた。

一段落ついたところで、さて、これから、明日が締め切りの原稿を完成せねばならない。
という訳で、今夜も徹夜モードへと突入です。

日曜日, 12月 26, 2010

アンチエイジングよりダンディズム!




人間、歳を重ねていくにつれて老けるのがあたりまえ。
年齢以上に若く見せたいとか、老化を止めるっていうのも、確かに大事なこと。
例えば、食事と健康に気をつれるとか、おしゃれするとか。
でも、それ以上に、老人だからこそ様になるダンディズムっていうのがある。
例えば、レナード・コーエンのこの色気とダンディズムはどうだ。
僕は60歳を過ぎたら、こんなカッコいい老人になりたいと思うし、その時が来るのを楽しみにしているのだ。

土曜日, 12月 25, 2010

Joni Mitchell.1983


今年のクリスマスは、神戸・六甲にも雪が降る寒い日。
僕の好きなクリスマス・ソングは、ジョニ・ミッチェルの“River”。これは外せないでしょう!

ちなみに、僕は1983年の彼女の初来日公演(大阪フェスティバル・ホール)を観ました。
もう、27年前のことか!

今でも、これは僕の体験したライブのなかでもベストなひとつ。
とにかく、ギターとピアノ、それからドブロギターみたいな膝に寝かして弾くギター!でのソロの弾き語りが素晴らしかった。
声も初期の初々しさが残っていた。
ピアノで“blue”のイントロが流れたときには、会場が一瞬静まり、そして、大きな拍手。あの空気は27年たっても忘れられない。
曲の間では冗談ばっかりで、大声で笑い返すのは会場の外国人だけ。日本人の僕らはシラって感じだった。

ティーン・エージだった僕は、当時付き合っていた彼女と一緒に観に行ったように思う。
育った環境とか価値観も180度違っていた2人だった。まだ中途半端な大人だったし、逢えばすれ違いばかりなのに、何のために一緒にもてあますほどの退屈な時間を過ごしたのか、いまでもわからない。
いま思いおこせば、一言で、そんな青春時代だったような気がする。

経営者はドリーマー

[晴れの日に傘を貸し、雨の日には貸さない]
こういう日本の銀行の体質、なんとかならんのやろか。

中小企業を救うはずの金融円滑法、いわゆるモナトリアムも霞ヶ関の政策と現場では大きなギャップがあるように思うのだが。
金融庁も銀行も保証協会も何のためのモナトリアムかってこと、もう一度、考えようよ。

それと、同じ銀行でも担当者によって、その対応が全く異なるってどうよ。
メインバンクと思っていた銀行で、担当者の異動のたびに手のひら返されたのでは、そらぁ、経営者はたまらない。

今日、無性に腹立たしいことがあったので、金融庁HPにある大臣目安箱へ投稿した。
https://www.fsa.go.jp/opinion/

もちろん、自殺なんて考えたこと無いけど、些細なことでも金融庁に報告しておかないと、後で同じように誰が困るかわからない。

で、僕は、日々、銀行とお付き合いをさせていただき支援を頂いているのだが、ポジティブ、ネガティブに関わり無く、この「大臣目安箱」に投稿してこうと思っている。
その理由?
中小企業の経営者として、日本の金融政策に対する建設的ないち意見として、。

経営手腕の拙さが原因ならまだしも、不景気や取引先の倒産なんかの外的要因で、売上が落ち込んで、自分はただ働きで従業員には給料を払い、そして借金を借金で重ねて返済できなくなる経営者もいる。
あげくの果ては、自分の家族の思い出が詰まった家を没収されて、最悪の場合には自殺に追い込まれるなんてことも。。。
これって、悲しすぎないか、おぃ。
シラフの青い顔で、「これが現実だから」って言う訳!。冗談はもうやめようよ。

前に「現実は甘くないよ!」って忠告してくれた、経営の「け」の字も知らない素人の主婦の投資家がいた。
では、あなたは、どれだけ世間を知っている?
そのひと、二代目経営者の主人の浮いたお金で、投資家を気取っては若手経営者の気を引いていた。

先行きの見えない長引く不景気だからこそ、これから経営者は、保守的にならねばならない。
独創的なビジネスモデルも大事だけど、銀行に頼らないで少ない資本でお金を回していける経営形体を模索すべきだろう。
固定費を削るだけ削って屋台精神で商いをすればいいし、資金繰りが難しいなら、現金商売に転向する。
昼間は自分のしたいことを全うできる社長で、夜は年下の上司がいるコンビニのレジ打ちのバイトだってかまわないじゃないか。

成功するまではプライドなんて捨ててしまえ。
でも、失っていいものと悪いものだけは、冷静に判断しないといけない。
クレジットカードなんて無くったって生活に支障はないし、あまり気分がよくないがマイホームを手放してもなんとかなる。
だけど、家族と自分の命だけは、決して失ってはならない。

失敗の後にこそ成功はやってくる。
多くの成功者は、倒産や自己破産を経験したうえで、のし上がってきたの!
だから、もっともつとタフにならないと!

経営者はドリーマー。でも、一度、夢を貫くって覚悟したら、最後までやり通そう。
ちょっと頭のいい人なら、こんなリスクだらけで割にあわない社長業なんてやめて、また、会社員に戻るよね。
もう一度、高学歴に頼って、ブルーな月曜日の朝に満員電車に揺られて、水っぽい仕事に変な生き甲斐とポリシーを見いだしては我慢する気かい?おぃ。
そこが5%の成功者になれるか否かの分かれ目なんだろう。
だから、経営者は永遠の世間知らずいいんだ。

金曜日, 12月 24, 2010

起業家としての次の目標

サラリーマンから独立して5年。
起業家として実践すべき「第1ステップ」をもうすぐ卒業できそうな気がする。
僕の言うところの第1ステップとは、例えば、ひよこが巣から自分の翼で自由に飛び立つ状態のこと。
そお、一度っきりのこの人生に、「自由」という翼を身につけることができたわけだ。

食べるためにお金を稼ぎだすってことは、経営学的な知識は多少は必要だとは思うが、学歴ではないし、人間性とか頭だけでもない。
人や社会の役に立てることは当然大事だけれど、良い人で終わってもお金は手元には残らない。
特に、コンサルタントを生業としてきた僕には、商人道ってのが身に付いてないので、世のため人のためという大義名分と商売とのギャップがありすぎた。
誤解を恐れずに言うと、今の僕には、左の手のひらを突き出す勇気、つまり乞食のようなハングリー精神を身につける修行が必要なのだと思う。
当然、このためにはまず第1に“信用”を身につけておかねばならない。

とにかく、「夢」を現実にするという生みの苦しみというやつは、最初の頃は刺激的で面白かったけど、ここ最近は、これまで体験したことのない苦しみに耐え抜くことに費やされた日々だった。
特に、2010年は、自分にとっては、生涯忘れることができない試練の年となった。
毎晩みる悪夢は、先行き不安のため、その「不安」という魔物の囚われの身となって、身動きができず、もがき苦しんでいる姿。
夜中に何度もうなされ目が覚めた。
ちょうど、チリの鉱山事故で地中に閉じ込められていた人々の苦悩とシンクロしていたような気がする。
(彼らは14人だけど、こっちは独りぼっち)

そんな2010年も、あと1週間。
来年は、もう少しはまともな生活を送ることができるのだろうか。
兎に角、今年は[ツキ]というものに、とことん見放された1年だったが、ここにきて、こんなちっぽけな会社に温かく支援してくださった大切な友人の存在とご恩を僕は生涯決忘れることはないだろう。
その友人の期待こたえるためにも、この複雑で競争の厳しい商業社会に勝てる経営体質へと変身して、もっともっとグローバルに高く高く羽ばたかねばっ!

そしてそして、今年は無理して背伸びをしてビッグなプロジェクトを抱えてこんでしまったために、かえって現在進行形でご迷惑をおかけしている皆様方には、心から感謝とお詫びを申し上げたい。
「皆さん、本当にありがとう。そして、ごめんなさい」

さて、来年からは、起業家としての第2ステップを目指すわけだが、キーワードは「保守」。
経済的な自由を得て、小さいながらも優良企業として、細く長く、無理をせず、人と組織をじっくりと育てていく。
そして、微力ではあるが、社会にインパクトを与えていける企業を目指す。
この目標を次の5年間で全うしたい。

そして、来年こそは、24時間スリープレスで熱中できるエキサイトなプロジェクトに、久しぶりに巡り会いたい!

水曜日, 12月 15, 2010

今夜は徹夜

昨日の休みが災いして、今夜は久しぶりに徹夜モード。
仕事に追われていて、修士論文に手が回らずに遅れ気味で、明日のゼミで教授からお叱りをうけたくないので必死です。
悶々と論文を書いてます。

明朝は7時には家を出て、滋賀県長浜市の小学校へ授業に出向き、夕方、大阪に戻って大学院でゼミを受けるっていう、ハードなスケジュール。

これって、充実しているってこと、あるいは、空回り!?

月曜日, 12月 13, 2010

久しぶりの休日

今日は寒い。
12月に入ってから、ほぼ休みなしだったので、今日は休日と決め込んだ。
何もかも忘れて、ひたすら寝よっと。。。
エネルギーをチャージして、また明日から頑張るとしよう。

日曜日, 12月 12, 2010

多忙な毎日

ここ数日、忙しすぎて、4日間も!お風呂に入ってなかったことに気がついた。

今日も早朝より、小学校への出前授業。
今回は、近所の神戸の甲南山手にある小学校だった。
かつてこの学校で息子が小学6年生のとき、ここの体育館で行われたバレーボールの試合の応援ために来たことがあった。
当時は、息子とあまり接してやる機会がなく、翻って、今は、他人の子供達に授業を教えている自分に、家庭を顧みなかった自分の情けなさに寂しい気分になった。

ところで、今、住んでいる海の手の六甲もいいけど、山の手のこの街もいい。
子供達が独立する前に、六甲山の麓の街に引っ越して、水入らずで過ごしたてみたいものだ。

木曜日, 12月 09, 2010

ドゥーワップでバーチャルなクリスマス気分

今年は仕事の関係で関西の小学校をたくさん訪れた。
その数、70校ぐらいかなぁ、、ワァオ!

今、携わっているこの仕事のおかげで、本当にたくさんの小学生と接する機会をもらって、なんて言うんだろう、子供たち一人一人の個性を育んでいるのは、学校の環境に大いに影響されていることを肌で知った。

大きな声では言えないけど、一番幸せそうな環境で育っている子供達は、日本海側の過疎の小学校だったり。
自分だったら、こういう学校に通いたいと思った学校は、都会ではなく、田舎の学校。
両親はもとより、祖父母と3世代の家庭で育っている子供達って、やっぱり、優しくて、健やかな感じがする。

さて、世間では、クリスマス一色って感じだけど、自分はそんな余裕さえなく、仕事に明け暮れている。
今年は、これまでで最も寂しいクリスマスになるんじゃないかなぁ。
まぁ、気分だけは、クリスマスに浸りたいので、20年も前に買ったRHINOの“The DOO WAP Box 2”を取り出して、事務所でずっと聞き流している。CD4枚セットで100曲のボリュームのある1951〜1965年までのドゥーワップ集。
The Mello-Moodsの“Wher are you(now that i need)”は、永遠のマイベスト。

水曜日, 12月 08, 2010

ポジティブに

今日は、久しぶりに出張(授業)のない日だったので、昼までに寝た。
今月に入って、休日無しで、しかも、早朝出張がたて続き、そして、年内いっぱいまでこのペースが続くので、休める時は目一杯休みたかった。
愛犬の散歩と洗濯をしてから、事務所へ出勤したのが13時過ぎ。
BGMに、Taj Mahalの“In progress & in motion”とか“Testifu〜The gospel box”のボックスCDを聴きながら、ぼちぼちペースでオフィスワークをこなし中。
CDが3枚から5枚がセットされたボックス・セットも、仕事中のBGMならば一気に聞き通すことさえできる。

さて、今日の格言。
『まずは心の中に成功の家を建てよ。決して障害物を想像してはならぬ。』

最初、この言葉は、ポジティブシンキングを奮い立たせる言葉かと思っていたのだが、心の中に“成功の家を建てる”、っていうところが奥深い。
基礎から屋根まで、台風や地震にも強くて、毎日快適な住環境を保つ家っていうのは、全てにおいて万全でなければならないわけだから、成功も最終的な形をビジュアル化して、こつこつと計画的に、そして、日々の努力によってこそ達成できるというわけだ。