火曜日, 5月 31, 2005

風神海岸(アネモス・コースト)と北代氏(その2)


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 四万十に住む友人の濱田君が僕をこの唐人駄場とアネモスの庭に連れてきてくれ、そして北代氏を紹介してくれた。北代氏に初めてお会いしたのだが、彼の口から彼自身が末期の癌という不治の病であること、そして余命3ヶ月という事実を告白された。偶然にも僕の父親も同じ病に侵され余命僅かという辛い悩みを抱えていた時期であった。このような心境の時に北代氏とめぐり合えたというのは、まさに運命的なことである。北代氏の凛とした「死」を受け入れた清清しい姿勢は、誰もが容易く真似をできるものではない。逆に、このような境遇にある中、初対面の僕に対し父親の死を現実として受け止めることの勇気を与えてくれる素晴らしい方である。
 彼の発する言葉は、唐人駄馬そしてアネモスに宿る神々からのメッセージを彼の口をかりて伝えているように思える。神に仕える神道の宮司やシャーマンのようである。
 『人間の魂に響くものこそが本物である。そんな本物を創造していってほしい』という北代氏のメッセージは、唐人駄場とアネモスのすばらしいさを世に伝えること。つまり、人間の魂を癒すことのできるパワーが溢れるこの聖地の存在を世界に発信し、そしてここに宿る神々のメッセージを広く世に伝えていくことを宿命として僕達に託された。北代氏のスピリットはアネモスの巨石に永遠に刻印されていくのであろう。近い将来、この場所に必ず存在するサムシング・グレートによってアネモスの庭へ世界中からその使命を受けた人々が終結してくるはずである。その手伝いを我々が任されたのである。僕と濱田君の今後の進むべきロードマップを示していただいた偉大な一日であった。そして、数日後、僕の尊敬すべき父が天国へと安らかに逝った。北代氏が説いてくれたように父の魂はいつも自分の近くで見守っていてくれるような気を現実として感じているのである。

風神海岸(アネモス・コースト)と北代氏


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  足摺岬に世界最大規模と言われるストーンサークルの唐人駄場がある。海岸線の道路脇に車を停めて、海へアプローチする急斜面の崖を降り、木々のトンネルを わたりきると竜宮神社がみえ、やがてウスバエ海岸が眼下にひろがる。赤道付近のフィリピンあたりから八重山諸島や琉球諸島を経由し北上した黒潮という龍体エネ ルギーはこのウスバ エ海岸にたどり着く。衣服を脱ぎすてて、海に浸 かり禊をしたいという衝動を押さえきれなかった。八重山諸島や慶良間諸島のような黒潮独特の透明なマリンブルーの海の色は、ここが四国であるということ が信じられないぐらい美しい。神戸の自宅を早朝に出発し、新幹線と瀬戸大橋を渡るJRのローカル特急を乗り継いだだけの移動距離であることを全く感じさせ ない。水面で仰向けとなり、全身の力を完全に抜き、まるで胎児のごとくウスバエ海の羊水に浸かり安心感と幸福感に満たされながら浮力と海流に身をまかせて 雲をぼんやりと眺める。そして、先ほど降りてきた海岸の崖に連なる岩の美しさに改めて感動する。この時点で頭の中は空白となり意識は覚醒し、これから向か う北代邸のアネモスの庭を鑑賞するために精神を整える。
  北代邸は亜熱帯植物が茂るジャングルの中にある。邸の庭そのものが古代人が配した巨石郡で北代氏が新たに石を配置したり若干の手入れをしたものである。目 線では判らぬが上空からみるとこの巨石郡が水神(アネモス)が象られている。「神々の指紋」の著者グラハム・ハンコック氏もここに訪れたという未だ現代人 には解明できない古代人のロマンや謎を刻印した場所でもある。北代氏はこれらの事実を知らぬまま、おおよそ三十年前から神の啓示を受け、この石郡の復興を ライフワークとしてこの地が持つ不思議な磁場の整えを一人細々と続けてこられ、ほぼ、彼のイメージ通りの作品としてようやく完成したそうである。

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木曜日, 5月 19, 2005

元禄時代のトラベラー、芭蕉が教えてくれたこと


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芭蕉の「不易流行」という思想が好きだ。
変 わらぬものと常に変わりゆくものが絶妙なバランスで対置している関係。つまり、「変わらぬもの」と「常に変わりゆくもの」そして、そのバランスを保つ中間 をなす目に見えない存在の三位一体が均衡していることこそ東洋の美である数奇(奇数)を表す宇宙観なのである。日本人の美意識は、動と静、過去と未来、かっこよ さとダサさと言った対極と、それに加えて、目には見えないものを心で感じ、そのバランス感覚こそが「侘び寂び」として重要なものと捉えてきたことではなか ろうか。
 芭蕉はこんな言葉を残している。
『不易も流行も、元をだどれば、ひとつのものである。不易ということを知らねば、基本を抑えた句を詠むことがはできず、流行ということを知らねば、詠んだ句の風体(姿)というものが、新しく見えることはない。』

 いやいや、この言葉だけでは不充分だ。芭蕉の説く不易流行とは、つぎの句の境地ではなかろうか。
 
 ○閑かさや岩にしみいる蝉の声

  蝉とは、儚き命の象徴であり、また、岩は墓石を指す。静けさは、あくまでも芭蕉個人の主観のなかで、蝉の音がとぎれて何も聞こえなくなった心境を「閑か」 と表現したものであろう。 不易と流行が岩の中でとけ込んで、一体となることを凍るような思いで悟った心境がこの句であるという。

  人間の魂の記憶やメッセージが鉱物という媒体に刻印され、永遠に後世へメッセージを残していくという考え方がある。神社のイワクラは縄文時代以前の太古の 人々が巨石に神が宿り、信仰のシンボルとした。この信仰は、世界各地にストーンサークルがあることから世界共通のものである。

  そう言えば、先日、世界的規模のストーンサークルが存在する足摺岬の唐人駄場に行ったが、巨石あるいはその磁場から発せられる「気」により魂が鎮 められた体験をしたことを思い出した。パワーストーンから発する古代人のメッセージをチャネリングするクリスタル・ヒーリングも同様だ。
 
 ところで、俳句が時間という二次元を超えてその人の心境を5・7・5という言葉の水晶体に凝縮し永遠に伝えていけると云う可能性。また、足し算ではなく引き算というミニマルの美しさに西洋にはない日本の美意識。
 唐突ではあるが、このような不易流行やミニマルの視点で日本のファッション界で唯一展開している『ユニクロ』の今後の動向に注目し応援したい。

 

月曜日, 5月 09, 2005

大峯修験道 奥駆けの道 


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  この写真は、山上ヶ岳山頂から望む吉野熊野七十七靡のご来光と雲海。神々しく美しく心が清められるようだ。この写真をネットで公開しているが、たまたま、 この写真をみたインド人からも「美しい」とコメントをいただいた。七十七靡の山々には役の行者が体得したインドの神々の名が付く峰々が連なっていることから、偶然とは言え、不思議だ。星の数以上あるネット上の写真からこの写真にアクセスしたということ自体、凄いことだ。
 『大峯修験の道 奥駆けの道』をあまりにも軽く考えすぎていた自分に反省。
  吉野山から熊野へと続く修験の道。1300年前に役の行者が開いた神々が降りる修行の場。そのメッカである山上ヶ岳は、まさに龍の頭。山上ヶ岳から吉野山 までの修験道は龍の体と喩えられ、熊野にかけての全ての行程が険しい山岳の道無き道を這いずりながら命がけで渡らねばならない。
 山の高度も高 く、尾根道と断崖絶壁の連続で一瞬の油断がまさに命取りとなるこの登山道は、岩にしがみつき、極度の緊張感のなか、肉体を全開で駆使することで、精神性を 高めるという修行である。現在の登山において、これほど険しく未整備な登山道は他に類をみないのではないだろうか。
 大げさではなく、登山中は何 度も死を覚悟し、岩にへばりつき一歩一歩進んでいった。そして、下山後の清々しさは喩えようがない。山岳信仰、修験道をほんの少し体験できる貴重なGWで あった。ちなみに、自分にとっては、20年前のインド旅行と匹敵するぐらいのインパクトがあった。
 

月曜日, 4月 25, 2005

西行と芭蕉


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 吉野山の下千本から上千本までの桜が昨夜から降り続く春雨ですでに散ってしまっていたが、西行庵のある奥千本は満開の見頃だった。雨のなか、ひっそりとした金峯神社から続く山道を散策し、西行庵に辿り着いた。

 西行は、ここ奥吉野の金峯神社の近くに西行庵を結んで、三年間桜の園の中に埋もれるように暮らした。桜は吉野山の麓の辺りから、徐々に標高の高い方に向かって、花を咲かせてゆく。きっと西行は、桜の頃になると、そわそわとまるで恋人が、庵に尋ねて来るような心地で、花の開花を待ったことであろう。

 願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃
(願いが叶うならば、何とか桜の下で春に死にたいものだ。しかも草木の萌え出ずる如月(陰暦二月)の満月の頃がいい)

 
 ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ
(ずっと花を眺めているせいか、花に情が移ってしまい、花たちと散り分かれてゆくのが悲しく思われることだ)

 吉野山の山桜は、厳しい環境のなかで、豪雪と寒風に耐えながらやっと大人の木となって花を結ぶ。だからこそ美しい。 吉野山では桜は神木であり、信仰の対象でもあった。 西行は、吉野山の桜というよりも、ここに宿っている目に見えぬ祈りの華ににこそ美を見いだしたのかもしれない。


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 そして、松尾芭蕉。元祖トラベラー「旅人」。
芭蕉の生涯は、西行の辿った道を、俳諧という新しい感性をもって巡る漂流の生涯ではなかっただろうか。 自身を「旅人」と呼ばれたいという心境というものは、無の境地に近いものであったはず。栄達の夢を捨てきれず、花の都の江戸に出てきた芭蕉が、いつしか自分が、突き詰めてきた道の奥には、自分が考えもしないような深い道に連なっていることを発見したのであったのか。

 旅人と我名よばれん初しぐれ
(旅先では、ただ一言、「旅人」呼ばれたいものだ。旅に出ようと思ったらどうやら初時雨が降って来たようだ。)

 芭蕉は吉野に来る前、伊賀の兄が住む実家によって、近年亡くなった母の菩提を弔っている。この旅そのものが、母への追慕の旅でもあった。


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さて、私事ではあるのだが、自分自身のルーツである伊賀と日々大都会で競争社会に身を置いているという当時の芭蕉との共通点。また、芭蕉が西行の後を追って吉野山に向かったのも41歳ということ。近いうちに、伊賀と吉野山との距離感を徒歩で体感し、芭蕉の心境に近づいてみたいものだ。

火曜日, 4月 19, 2005

地方のアニミズム的な伝承を再発見し、自然と地方との新たな係わり方をプロデュースする

 日本の地方がもつ魅力とは何だろうか。よくそんなテーマについて自問する。地方が古来より伝承してきた独自の風習や宗教観、自然や神への崇拝、鬼などの見 えない物への畏怖が忘れられつつあり、バブル期にはリゾートマンションや無駄な公共事業の開発によって豊かな自然や文化の多くが失われた。また、経済や効 率化を優先する社会システムは、地方から都市への人口流出化を進ませ、地方では少子高齢化の進行、後継者不在によって祖先から受け続いてきた土地を手放す 人も多いと聞く。人が住まなくなった里山は荒れ果て朽ちていく。
 このような、地方の衰退はこれからの日本社会や自然環境へ多大に影響を及ぼすもの である。また、地方衰退は、日本人のもつ「自然を感じ、共生する心」つまり、レイチェル・カーソンの言う、センス・オブ・ワンダーの考えが忘れ去られる恐 れがある。日本人は縄文時代以前より、自然そのものを神として崇拝するアニミズム的な宗教世界があり、自然に身をおくことで生きる力や活力を得て、癒され てきた。我々は人間性の回復の場でもある自然やアニミズムの宝庫である地方の魅力や役割を再認識する必要がある。
 そこで、僕が取組んでみたいこと は、地域活性化の新たなアプローチとして、地方の本来の魅力を掘り起こすことを目的に、特定の地域コミュニティに密着に接触し、地方に伝わる伝承や祭り、 神社の神事などの宗教的神事に参加・体験させていただき、現代人が忘れかけている「人と自然との良好な関係のあり方やセンス・オブ・ワンダー的な伝承」を 現代人に訴求するテーマを見つけだすことである。また、そのテーマを広く一般や子供達へ伝承するための媒介として、地域プロデューサーという立場から地元 住民、行政、NPO等を巻き込んだワークショップやイベント等の企画立案と実践を行い、現在のお金だけを地方に落とさせる仕組みに特化した地方活性化論に 一石を投じてみたいのである。

木曜日, 4月 14, 2005

愛犬ムサシ

僕の愛犬。イングリッシュ・コッカスパニエル。名前はムサシ、かわいい。

個人的で低レベルな話

 酒をやめようと思ってから、何年経つのだろうか。夕べも気のおけない友人と深夜まで深酒をしてしまった。いくら、これから挑戦するビジネスへの熱き語らいとはいえ、酔うと気が大きくなり、抑制が効かなくなり、大切な諭吉さんを簡単に浪費してしまうという酒の恐ろしさ。以前であれば、仕事のストレス発散の機会でもあったのだが、最近は酒に飲まれている自分をつくづく感じる。特に今日のような春の心地よい日に二日酔いというのは、辛いし自分が情けない。
 ヨガとまではいかないにしても、体調や気功を整えるのには、まずは酒を断つことから始めてみよう、今度こそは、、、、、、。

水曜日, 4月 13, 2005

bonarooフェスはもうすぐ

 テネシー州ナッシュビルで開催されるbonnarooフェスティバルがあと2ヶ月と近づいている。 出演者のラインアップの全容は未だ明らかではないけど、今年の目玉は、やはり、TreyとBob Wier、オールマンっていうところなんだろうか?今回、僕がbonnarooに行く決心をした理由の一つは、その本場の空気を味わってみたいことや、日本以上に閉塞する現代のアメリカ社会において自分の価値観や『自由』を求めるアメリカ人の多くが、カントリー、フォーク、ジャズ、ブルース、カリプソといったアメリカン音楽のルーツを踏襲し心地よさを追求するjam系のバンドが多く出演するこのフェスに集結していると考えられるから。ウッドストック、フラワー・チルドレンの第二世代であり、当時のベトナム戦争下のアメリカと現代のアメリカがオーバーラップしている今、bonarooのような自由な空気を求めるフェスが盛り上がるのは当然の成行きなんだろう。jam系は、60年代からスタートしたgreatful deadから去年解散したphishやその後継者というように、世代を越えてつながっている。僕らは70年代、80年代というように年代毎にカテゴライズしたり、イギリス系だとか、レゲエ、エレクトロニカ等といった多様なジャンルを幅広く聴いてきた。実際、渋谷の宇多田町界隈は、世界で最もレコード屋の密度が高いときくし、海外のアーチスト達に言わせると日本人は最良なリスナーであるらしい。アメリカ人と日本人との音感の違いはなんだろうか?たぶん、それは自分達のルーツとする音楽を持っているか否かの差なのかも知れない。例えば、Ry Cooderは白人にして、黒人音楽の古いゴスペルやブルースを掘り起こしをし、カントリーミュージックの根源であるヒルビリーとの接点を見つけた。その後、メキシコ、ハワイ、沖縄までをも消化し、そしてキューバまでをも彼自身の音楽スタイルとして確立している。よそ者としてそれらの音楽を主観的に感じとり自身のスタイルに取り入れているようで、実は、しっかりとアメリカのルーツミュージックとの接点を掘り当てているに違いない。なぜならば、アメリカの白人は移民達であるからである。イギリスのストーンズがいぶし銀の黒人ブルースに共感するのも、アイルランドのヴァン・モリソンがソウルフルなのも、このように考えると当然のこと。
 では、日本人の僕。僕にとってのbonnarooは自分探しの旅であり、音楽の聖地巡礼の旅でもあり、僕らが幼い頃から聴きなじんできたアメリカン・ミュージックへのオマージュなのかもしれない。

土曜日, 4月 09, 2005

又兵衛桜と天益寺の枝垂れ桜

 桜前線の真っ只中の週末、奈良県大宇陀郡大宇陀町の又兵衛桜と天益寺にて花見を満喫した。大宇陀は、奈良県中部に位置する廻りを山々に囲まれた盆地にある。万葉集で柿本人麻呂が―ひんがしの野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ―と詠んだ、『かぎろい』(厳寒期早暁の気象現象)が観察できることで知られている。

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大宇陀の小高い丘に立つ天益寺(てんやくじ)は境内の樹齢350年の枝垂れ桜で知られ、かやぶきの美しい本堂がある古寺だが、99年1月に放火事件に巻き込まれ本堂が全焼し消滅した。
 このお寺で毎年桜の時期に夜桜コンサートが開催されてる。野田晴彦さんという笛のミュージシャンがお寺の再建のためのチャリティコンサートをなされている。この大宇陀の小さな山村が桜のシーズンは多くの人々が集い、ライトアップされた夜桜が夜空に浮かびあがるなか、笛の音が村中にこだまするという、何ともアーティステックで、幻想的で雅な空間に酔いしれることのできる、本当にすばらしい花見が堪能できる。
 僕の大きな後悔。それは、大宇陀に毎年このようなすばらしい桜が咲き、この雅な空間をこれまで知らなかったこと。そして、プロ、アマチュアを問わずカメラマンを魅了したという今は消滅した天益寺のかやぶき屋根の本堂をこの目で見れなかったということ。一日も早い再建を願ってやまない。

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水曜日, 4月 06, 2005

ヤンバルに行ってきた(その2)

 喜如嘉の集落のほぼ中央にある小道を、南側へ山に向かっていくと、緑の木々の中に滝が見えてくる。ここは七滝と いう拝所、つまり御嶽(うたき)。滝であることから、水神を祭っているのかどうかは定かではないが、この先からはヤンバルの深いジャングルとな り人が立ち入ることを拒むような場所に位置していることから、「ヤンバルの森」そのものをご神体としているようにも感じる。ここに居るだけでパワーがみ なぎってくるような、そんな神聖な空間です。拝所で祈りを捧げ、瞑想をしているだけで何物にも代えがたい幸福感に満たされる。

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  本来、本土の神社もこのように、神霊を迎え入れ、その意志をうかがい、祈り、祭儀を執り行う空間であったはずなのに、いつしか、神霊の常住する「建築空 間」として成立している。例えば、三輪山山麓の大神神社は、今なお建築物としては拝殿しか持たず、円錐形の秀麗な山容を御神体として、山麓にある3つのイワクラを神霊の依り憑く座として信仰されている。御嶽に立っていると、縄文時代あるいはそれ以前に、本来、神社が成立していた原型が御嶽に極めて近 かったのではないかと示唆できる。
 さて、この聖地「七滝」に向かう小道の途中に、日本野鳥の会沖縄支部事務局の市田さんが経営しているカフェ「小春屋」が ある。テラスにヤンバルのジャングルが「よっこらしょっ」て感じで迫っていて、庭そのものがジャングルと喩えられるぐらい、お茶をしながらヤンバルの 自然を堪能できるというすばらしいロケーションである。そのジャングルの庭先にもハブがウヨウヨいるらしく、市田さんも庭に出るときは長靴と飛び掛ってくる ハブをかわすための長い棒が必須であるとのこと。四季を通じて様々な野鳥が訪れるらしく、市田さんから野鳥のことや喜如嘉の文化・風土のお話しを伺っていると時間 を忘れてしまうぐらい興味深い。ヤンバルにしか生存しない貴重な自然や生態系に対し、米軍基地のヤンバルへの移転問題、政治家や沖縄開発 総合事務局の官僚達による醜い道路やダムなんかの公共事業の脅威に対し、地元の子供達や沖縄県民へエコツアーを企画し、それを媒体にして自然の尊さを知ってもらうべく啓蒙活動をなさっている。

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 カフェを後にヤンバルのジャングルを車でドライブし、沖縄北部の東海岸に辿り着き、その原始的とも言える素朴な漁村の風景に感動した。まだまだ、手付かずで、文化人類学者の研究の対象になるぐらい、沖縄の人々がインドネシアやフィリピンなどの南方からやってきたということを実感できる原風景が広がっている。今の段階では、これを言葉で表現する作業は難しいので、もう一度、彼の地に立ってみてフィールドワークを重ねてみたい。この東海岸の荒々し い海を眺めていると、ふと喜納昌吉の「東崎(あがりざき)」という名曲のメロディが頭に浮かんできた。 仮にもし、喜納さんがこの名曲のインスピレーションを受けたのが、ひっとして、この沖縄北部の東海岸であったのではないのか、とさえ思えてくる。ニライカナイという 伝説の神の島に対するオマージュを若き喜納さんが感じ取ったとすれば、その同じバイブレーションを僕もほんの少し感じることができたような気がする。そ んな訳で、その日の夜は那覇に戻って、喜納さんの経営するライブハウスで喜納さんのお姉さんが歌うエイサーのリズムに酔いしれ、踊り明かし、100%満足 のオキナンチャーの旅が終わった。

月曜日, 4月 04, 2005

ヤンバルに行ってきた

 4月に入り年度末の締め切り仕事も一段落したところで、4月1日~2日にかけて沖縄の北部エリア、いわゆるヤンバルに行ってきた。前日まで那覇市でクライアントとの打合せがあって、そのついでに今まで訪れたことのなかったヤンバルを旅した。
 沖縄には仕事で何度も足を運んだが、特に今年の冬には週一回ぐらい頻繁に出張した。沖縄は僕の大好きな場所ではあるのが、何故だか最近、沖縄の滞在中は体調が悪くなり極端に気だるく、偏頭痛に悩まされ続ける。たぶんこの原因は、冬は寒いという僕らの常識や関西で生活をしてきた祖先から引き継いだ遺伝子やDNAの条件下において、突如、飛行機で瞬時に移動して真冬なのに熱帯気候に体を置くことの違和感であろうかと思われる。関西空港ではコートを着ていたのに2時間後には冷房が必要なぐらいの暑さと湿度の極端な環境の変化にウンザリ。ちなみに、今年の2月初旬の大雪が降り関西地方の交通網の大部分が麻痺した日に、天河神社の新年祭に参加したが、道中、冬山のドライブの経験もなく、生まれて初めてタイヤチェーンを装着しての積雪40cmの白銀の天河に何とか辿り着いた。-10℃ぐらいの酷寒の天河であったが、その寒さというのは、かえって血流の流れが活性化され頭が醒めて心地よさとなった。そう考えると、四季のある日本は「冬は寒く、夏は暑いがよい」という格言は的を得ている。近年の地球温暖化による異常気象は我々の知らぬうちに身体面や精神面で蝕んでいるのではないだろうか。
 さて、話をヤンバルに戻し、先ず最初に訪れたのは日本で一番の長寿の村で、ヤンバルの入口にある大宜味村である。ここはすばらしかった!結論から先に言うと沖縄のすべての原点が詰まっていると言って過言ではない。喜如嘉(ぎじょか)という集落は、芭蕉の産地で今でもすばらしい芭蕉布を織る元気なおばあさん達が住んでいる。また、集落の景観も沖縄らしい漆喰の赤瓦も多く残っているし、古い家の原型を残しつつリフォームしたり、新築の家も伝統的な沖縄住宅にマッチした家屋であって、住民が暗黙でこの伝統的な失われつつある沖縄らしさの景観の保全に努めているような心意気を感じる。本当にいい気で溢れていました。

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火曜日, 3月 29, 2005

光の龍

 これは、昨年の夏に天河神社の例大祭に訪れた時の出来事。
境内で厳かに行われた護摩法要の煙の中から突如出現した一筋の光。
まるで天へと登る光の龍のようだ。本当に不思議な体験。
この写真をみると、神の存在を感じると同時に、なによりも癒される。
僕が天河神社に初めて訪れたのは1986年の春だから、もう、20年近く通い続けていることになる。
 ここの宮司さんがenoが好きで毎日境内でBGM流しているとの噂を友人の一人から聞き、その当時の僕もenoのambient音楽に夢中であったことや、昔から吉野には惹かれる縁があったり、澄み切った綺麗な川の流れる雄大で美しい自然感とambientとの共通点をそれとなく感じていた。これは、イギリス人であるenoと日本人である僕自身との共通点を見つけ出したようで嬉しい感覚であった。
 それから1989年にenoが天河社に正式参拝して完成したばかりのすばらしい檜の香りが漂う能舞台でのサラスバティ(=弁財天。天河神社に祀られている神様)への奉納演奏を聴くこともできた。個人的には、この奉納演奏は、観世元雅の「唐船」のように、天河社、いや日本の芸能史の重要な出来事として後世まで記憶されていくことと確信ている。
 ニューエージ界の世界ではあまりにも有名な天河ではあるが、まずは深呼吸して、力まず、ゆる~い気分でここに流れる磁場と魂をシンクロさせれば、温泉につかっているような和んだ気分になれる。
毎回ここにお参りに来るたびに潜在意識のOSが少しずつバージョンアップされていくようで、気持ちがいい。


dragon Posted by Hello