火曜日, 2月 15, 2011

Brian Enoの新作。すごい。



ブライアン・イーノが昨年12月に新作“Small Craft On A Milk Sea”を発表していたことを知らなかった。
ファンとして恥ずかしい。
しかも、本作は、なんとテクノ系のWARPレーベルからリリースされているのも凄く意外。(WARPにとっちゃ、イーノ御大は“雲の上”の存在だもの!)

イーノ曰く「このアルバムに収録された楽曲のほとんどは、クラシックな意味合いのコンポジショ ン(作曲)ではなく、インプロヴィゼーション(即興)から生まれている。それらの即興は、曲としてではなく、むしろ風景として、ある特定の場所から抱く感覚として、あるいはある特定の出来事が示唆する提案として完成させようと試みられている。歌い手は存在せず、語り手も存在せず、聴く者が何を感じるべきかを指し示す案内人も存在しない。これらは音のみで作られた映画’sound-only movies’なのである」。
そう、時/場所/テーマを選ばず、聴く者の意識に委ねられる驚くべき画期的作品になっているのだ。(amazon.co.jpによる)

エリック・サティ、ジョン・ケージの流れをくむ偉大なる現代音楽家であり、そして思想家でもあるイーノ。
本作は音楽産業がyoutube、ダウンロード時代となり、リスナーはあえてCD作品を買わずしてアーティストとコミットできる時代へとパラダイムシフトしたことを印象づけるような作品でもある。
だから、あえてCDトラックの曲順を意識するような必要はないし(実際にCDとitunesバージョンでは曲順が異なる)、音をアウトプットする装置もヘッドホンを意識したようなサウンドにミックスされている。(皆さんも、先ずはヘッドホンをコンピュータのジャックに突っ込んで聴いてみて!)
以前からイーノは「ダウンロードは音楽産業にとっての新たな可能性である」と示唆していたが、今回は、それを意識しリスナーへの新たな音楽の楽しみ方を提起している。
ちなみに、新作の全曲をyoutubeでフリーに聞くこともできる。僕はイーノのCDはほとんど持っているけど、本作はCDも買わないし、itunesでダウンロード購入するつもりもない。

僕はイーノの1989年の吉野・天河神社での奉納演奏を体験したが、その時の即興演奏とこのセッションとは、コンセプトが非常に似ているように思える。
天河セッションでは「音楽と音との境界線を取り除く」というコンセプトで永遠と5時間ぐらいの実験音楽を繰り広げられたが、今回は「従来の音楽が演奏者あるいは曲がリスナーを隷属するという概念から解放し、リスナーの意識に委ねる」というものである。
これら2のセッションは、音楽の固定概念を壊すという意味で共通している。それ故に今回の作品が新たな音楽史そしてイーノのキャリアを大胆に塗り替えられる衝撃作として、また21世紀最も意義深い作品として位置づけられようとしているわけだ。

なお、このセッションビデオで注目すべきところは、イーノから演奏前に楽譜ではなくギタリストのレオ・アブラハムスには「ワンコードのみを弾くこと。そして、ものすごく退屈に」、キーボード、サンプラーのジョン・ホプキンスには「1小節に○回のノイズを入れなさい」と指示したうえでの即興演奏であったことが容易に想像できる。
ギターのワンコードは、アフリカのフェラ・クティに影響されたアフロ・ビートでイーノのフェバリットなものである。これは、トーキングヘッズで実証された手法として有名。だから、この曲の重要なノリを支配しているは、一見して裏方にあるように思えるレオアブラハムスが退屈に弾くリズム・ギターにあるのだ。

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