水曜日, 8月 24, 2005
広島へ
新規プロジェクトのため、来年の春まで頻繁に広島市や備北地方を訪れることとなる。
お好み焼き、カキ、宮島、広島カープ、、、、。これまでは、あまり広島に縁がなかったけど、“半分広島県人”と言われるよう、せっせと通いたい。よろしく、HIROSHIMA。
金曜日, 8月 19, 2005
四国の渇水
早明浦ダムの貯水量も遂に底をつき、高松では本格的な断水制限が行われ、生活に不便を強いられておられることと察します。四国の方々には、心からお見舞い申し上げます。
僕も、昨年の夏は高松で住んでいた。2年強の高松生活であったが、その間、運良く水で困ることはなかった。去年は大型の台風が何度も四国を直撃し、高松市 内でも浸水によって交通や生活が麻痺する大混乱となった。僕の住んでいたマンションも1階が床上浸水となったが、このときも偶然、神戸に帰省していたし、 僕は2階の部屋だったので被害に遭わずにすんだ。
さて、昔は、今のような渇水で深刻な被害となったことだろう。米や農作物への悪影響が飢饉につ ながり、人の命に係わる深刻な事態となった。だから、朝廷は、陰陽師などのシャーマンに雨乞いの祈祷をさせていた。奈良や京都には、今では忘れられている が、彼らが雨乞いの祈祷をする聖地がある。これらの聖地はおおむね水の神である竜神を祀っている神社である。
「陰陽師(岡野玲子、夢枕獏)」の 8巻<安陪晴明 天の川にて雨を祈ること>に、安陪晴明が雨乞いに竜神の神様の聖地巡礼をするという物語がある。その聖地とは、「貴船(鞍馬)」、「龍穴 神社(奈良県室生村)」、「丹生川上神社(東吉野)」そして「天河」。これらの水の聖地は、全て地下の水脈で繋がっているそうだ。
ちなみに、明日、僕は、龍穴神社に行く。
水曜日, 8月 17, 2005
火曜日, 8月 16, 2005
土曜日, 8月 13, 2005
山水人(ヤマウト)まつり、とても気になります
ラインナップは、 ゴア・ギル、南正人、ダチャン ボ、マジェスティクサーカス、熊谷もん、座晩鳥、クリ、ゆうすけ、ザ・ファミリー、インカローズ、OiOi、Otowa、イーリャ・ダス・タッタルーガス、ベリー、ミツキ、Tetsu、Shinkich、そしてサヨコオトナラ。
朽木村は琵琶湖西岸のブナの原生林がある山深い超~気持ちのいい場所。3日間のキャンプインのパーティのようだ。
金曜日, 8月 12, 2005
神波多神社と波多の里
奈良県山添村に波多という集落があり、ここに除疫神の牛頭天王を祀る神波多神社が鎮守する。
波多族。彼らは海洋民族として航海技術に卓越した民族であったといわれる。
そして、この村には多くのイワクラ群があり、夏の夜空の天体図の三つの星(デネブ、ベガ、アルタイル)と位置関係が一致している。 これらは、この村の神野山を中心として夏至の太陽の昇るところと沈むところ、冬至の太陽が昇るところと沈むところを線で結ぶとその線上に巨石や神社が点々と配置されている。一説によると、太陽の輝きがもっとも薄れたとき、太陽の復活(生命の復活)を願い、お祈りしたのではないかと推測されている。
月曜日, 8月 08, 2005
夏、真っ盛り
水シブキがとても気持ち良さそう。
甲子園も始まった。
毎日がカルフォルニア晴れ。
アロハ・シャツも着た。
野外フェスにも行った。
子供と虫とりもした。
NewOrderのニューアルバムも愛聴している。
でも、まだ、スイカたべてない。
ビーチにも行っていない。
はやくしないと! 夏が終わってしまう前に・・
金曜日, 8月 05, 2005
解毒・DETOX
カラダに溜まった不要な贅肉、毒素。これらは水や食べ物、空気の汚染から体に蓄積され、加齢、ストレス、アルコールや不規則な生活による免疫力の低下やホルモンのバランスの乱れによるものだ。
こんな毒素を溜め込んだカラダでは、充実した人生を送ることも、よい仕事もできない。
だから、決心した。解毒することに....。カラダに溜まった毒素を排出して、細胞を活性化するのだ!
オラ!メヒコ
ウアウトラという村には、良質で最高に飛べるキノコが生えているそうだ。60年代のドラッグカルチャーやロックの原点となり、それに影響を受けた現代のトランスミュージックやハリー・ポッターまで、すべてがこの村からはじまったとも言われている。ビートルズのメンバーがリンゴ・スターの誕生日を聖な るキノコで祝うため、この辺鄙な村に住んでいた二十世紀最大のシャーマン、マリア・サビーナのもとにやって来たというサイケデリックな伝説もある。
日本のお盆のように祖先の霊を現世に迎えるお祭りもあったりと、死を身近なものとして捉えてるというメキシコ人と日本人との共通点も多いそうである。
オアハカという村はメキシコ人にとっても磁場の強い聖なる場所であるらしい。その村のモンテ・アルバンという聖地は写真を見るだけでもエネルギーが充満している。
そんな感じですが、、、詳しくは田口ランディとAKIRAが著した「オラ!メヒコ」(角川書店)を参照されたし。
メキシコの空気は沖縄に似ていると言うし、石好きの僕にとっては、フリーダ・カーロとイサム・ノグチとの恋愛関係についても知りたい。
水曜日, 8月 03, 2005
火曜日, 8月 02, 2005
月曜日, 8月 01, 2005
ラムネとビール冷えてます
鈴鹿山系から涌き出る清い地下水がこの宿場町の地蔵川に絶えることなく“こんこ ん”と湧き流れる。かっての旅人がこの水で旅の疲れを癒し、のどの渇きを潤った。また、最近まで直接飲料水としても利用されていた。まさしく、命を守る水であ る。
地蔵川にはハリヨという絶滅の危機のある貴重な魚が生息し、清流のみに生える梅花藻(バイカモ)という小さくて可愛い花が咲く水生植物で生物学的にも貴重な川だそうだ。この日も、梅花藻の花と涼を求めて多くの観光客が訪れていた。
清い水の流れる小川と人の生活や営みが密接に関係しているという点で、失われつつある日本の風景であると思う。
このまちの頭上を名神高速道路が通り、一日に何十万台ものトラックやクルマが通過していることが信じられないほど、かっての宿場町の賑わいや生活の音が聞こえてきそうである。素敵な真夏の週末の遠足であった。
木曜日, 7月 28, 2005
ディープな四万十川
森に響き渡る清流の轟、限りなく透明な水、濃厚な空気、木々の緑、ごつごつとした岩、鳥のさえずり、そしてあたり一面に飛び散るマイナスイオン。
ここは、四万十川支流の上流域。
これまでの僕の四万十川のイメージとは異なる未知の世界。
確かに、吉野にも美しい川は多い。だが、吉野の凛とした透明感とは違う亜熱帯特有の甘くて優しい空気を感じた。
また、四万十川は、“川”だけに着目した観光ツーリングだけでは勿体ない。山の緑をめでよう。里山の田んぼの風景、ゆったりとした生活のリズムを感じてみよう。この地に身をおけば、本来の自分のペースを取り戻せるかもしれない。
今回の旅で得た四万十川に対するイメージは、“ハワイのジャングル”のような世界。
そう、ここに流れるのは、まったりとした濃厚な時間_
サウンドスケープで喩えるならば、今回の旅で車のBGMに流し続けていたSprout。ゆるめのオーガニック・グルーブな曲がぴったし溶けあう。
だれか、こんなディープな四万十の新しい旅のスタイルをもっと僕らにコーディネイトしてくれませんか。
次回はテント持参。
土曜日, 7月 23, 2005
ANEMOΣ
荒れ果てた地に横たわる
水晶に封印された縄文人の記憶のかけらを
幽世と現世のシャーマンである御杖たちが祓い清める
アネモスよ、君は海原を鳥のごとく悠々と飛翔し、その魂は波多の民に還る
風は波を生み、波は竜神と化す
そして、夜空の星座と太陽神アマテラスが出会う周期を大地に刻印する
荒涼の地に眠る去勢された鉱物を嘆き悲しむ君よ
君はひとつの伝説でもある
木曜日, 7月 21, 2005
アサーティブネス
わが社の狭い世界でさえ人間関係につくづく疲れることがある。上司、部下、クライアント・・・・。僕らは会社で生産するという労働に匹敵するぐらいコミュニケーションに費やす労力やエネルギーを消耗している。人と人とのコミュニケーションの大切さはわかるが、時には物静かに自分の世界に没頭して仕事をする時間だって貴重だ。確かに、今の僕の会社での立場からは贅沢な望みなのかも知れないけれども。
僕の会社は技術者集団であるので、自分の技術には責任とプライドをもつ人間が必然的に集まっている。特に、僕は妥協を許さず、かつ熱くなるタイプであるので、仕事上での衝突が避けられず対人関係も決して上手くいっているとは言いがたい。それでも最近は、管理職として部下の成長を暖かく見守っていくことの大切さに目覚めてもいる。でも、昨日は上司と締め切り前の僕が書いたコンペ資料で熱いバトルを繰り返してしまった。自分の技術や意見を主張するつもりが、いつのまにやらお互いがエゴ剥き出しのパワートークへと転換し、つくづく嫌になってしまうし後味も悪い。
アーサーティブネスというコミュニケーション理論を習ったことがある。Assertivenessとは、「自己主張すること」。でも、自分の意見を押し通すのではない。それは、自分の気持ちや意見を、相手の権利を侵害することなく、率直に、誠実に、対等に表現することである。この理論は70年代のアメリカの女性解放運動から始まったもので欧米社会では広く浸透しているらしい。
アサーティブネスでは自分には12の権利があると説く。同様に相手にもあるこの権利を侵害しないということが基本であると言う。
- 私には、日常的な役割にとらわれることなく、ひとりの人間として、自分のため優先順位を決める権利がある
- 私には、賢くて能力のある対等な人間として、敬意をもって扱われる権利がある
- 私には、自分の感情を認め、それを表現する権利がある
- 私には、自分の意見と価値観を表現する権利がある
- 私には、自分のために「イエス」「ノー」と決めて言う権利がある
- 私には、間違う権利がある
- 私には、考えを変える権利がある
- 私には、「よくわかりません」と言う権利がある
- 私には、ほしいものやしたいことを、求める権利がある
- 私には、人の悩みの種を自分の責任にしなくてもよい権利がある
- 私には。まわりから人の評価を気にせず、人と接する権利がある
- 私には、アサーティブでない自分を選ぶ権利がある
個人的には、8番目の権利が好きだが、英語ならば“I have No Idea.”でさらりと表現できるけれども、日本語であればその言葉の奥にある姿勢を問われるようで、喧嘩に発展しかねないという疑問が残ることも確かである。
いずれにせよ、この講義を受けて、自分のコミュニケーション・パターンの欠点に気づき、アサーティブなものへと変えていくために日々トレーニングしていこうと誓ったばかりであるのに、昨日の上司との一件からして長年の習慣や態度を変えることの難しさを実感した。
そして、良好なコミュニケーションの入口は、『人を誉めて、人の目をしっかり見ること』。これって、日本人には結構難しいことなんだ。
水曜日, 7月 13, 2005
On the Road
日本の平凡な道だけれども、なんとなく好きな風景。
山口県周南市の国道2号線。この道は、中国地方を横断し関西圏と九州地方とを結び、また、山陽地方の主要都市間を連絡する西日本の大動脈。
この日、僕は山陽新幹線の徳山駅で降り、レンタカーを借りて見知らぬ街を徘徊した。その目的は、道路整備効果をリサーチするためにドライバーや住民の視点 へと限りなくブレークダウンしたフィールドワークのためだ。地味な仕事ではあるが、好きな分野。道路整備は確かに環境や自然保全にとっては脅威的なもので あることは否めないが、人の生活や営みを支えるための必要不可欠なライフラインだ。人とモノの流れを血液と喩えると血管の役割をなす。特にこの写真の道路 は、欧米並みにクルマが快適に走行できるし、自転車や歩行者にも安全で歩いて気持ち良さそうな広い歩道だってある。
このような日本版Free-Wayにクルマを走らせて知らない街に出かけてみるのも楽しい旅のスタイルだろう。バックパッカーのように必要最低限の荷物をトランクに詰め込んで彷徨するのだ。そのような自由で気ままな自分探しの旅に憧れる。
山口は瀬戸内海沿岸には少し昭和の時代にタイムスリップしたような懐古で特異な街が多くあるし、山陰には魅力的な日本の原風景が広がっている。長門では天 才童謡詩人‘金子みすず’の世界に魂が洗われるだろう。そして、「ふぐ」であまりに有名な下関は、本州の最果ての地。この街は、本州、九州、韓国・中国と の三角形を結ぶ陸と海のクロスロードとして独特の雰囲気を醸し、どこかアジアの匂いが漂うオリエンタルチックで開放感のある港町だ。
なにげない「道」から新たな旅や出会いが始まり、そして、その道には終着点はない。“On the Road”かってのアメリカのビートニクス詩人や放浪者が好んだ言葉だ。
On the Road_そして、僕のこのblogも肩の力を抜いて、日々感じる事柄をありのままに綴っていこうと改めて思う。
Be Here Now!!
月曜日, 6月 27, 2005
鞍馬山竹伐り会式
6月20日、炎天下の京都・鞍馬寺にて千年もの歴史をもつ古儀、「竹伐り会式」が厳かに行われた。写真は、鞍馬寺僧兵の(弁慶のような)姿をした勇ましい大惣法師が、「蛇」に見立てた竹を勢いよく伐りつける瞬間をとらえたもの。
竹伐り会式は、水への感謝を捧げ、災禍を断ち切り吉事の招来を祈る儀式であるとともに、「魔王尊」、「毘沙門天王」、「千手観音菩薩」、つまり宇宙の大霊である三身一体尊天の慈愛と光明と活力を、世のすべての心の内に甦らせるための祭儀である。
鞍馬寺総長の信楽香仁氏は、「竹」を通して自然から多くの無言の教えを学ぶことができると説く。草でもない、木でもない、神秘的な竹と向いあうことで、宇宙の大生命の世界を想い、物質世界の奥深くに隠された素晴らしい力について悟るべきであるとも言う。
- 竹は、見えない土の中で新しい世代の生命を生み出し、その働きを次々と受け継いでゆく素晴らしい力をもつ。
- 地上で成長した後は、自分は太らずその力を地下茎にまわす非利己性。
- 一本だけ太ることなく、まわりと調和しながら生きる協調性。
- 自身にも筋をもって、しなやかに風雪や逆境に打ち克つ忍耐力。
- 自分は倒れてしまっても、次の新しい生命を生み出す地下茎の底力
- 食材となり、暮らしの便利な用具となり、美しく神秘的な物語を生み、また、祭儀の主役をつとめ、人間生活の様々な面で役に立っている
(信楽香仁)
そして、この日は、前日の甥の結婚式のために来阪した母親とともに、この神秘的で宇宙の大生命の尊さを説く象徴的なこの儀式に参列できたことに感謝している。
火曜日, 6月 21, 2005
1000000人のキャンドルナイト
で、その番組の途中に「カメヤマローソク」のコマーシャルが流れた。なぜ、このゴールデンタイムに盆でもないのに、日本に流通しているローソクの大部分の シェアを占 める三重県亀山市の企業のCMが?という疑問は、たまたま、その情報を知っていたから驚かなかった。そう、今日は夏至。1年で夜が最も短い日。そして、今 夜、全国各地、あるは環境問題に関心のある個人の家で100万人のキャンドルナイトと いうイベントというか取組みが行われているはずである。電気を消してキャンドルの明かりで静かに夜を過ごし、地球のこと、環境のことを考えるという、 LOHSA的な静かな取組みなのである。カメヤマローソクは、このことを思い出してもらうべく、ひばりさんの特別番組の途中でさり気なく自社CMを流し訴 求したのであろう。いいぞ、カメヤマローソク。そして今夜、僕の家も蛍光色の照明を落とした。このblogを綴っている最中も最小限の間接照明だけ だ。はたして、日本人の何割の人がこの静かな取組みのことやLOHASという言葉を知っているのだろうか?