吉野山の下千本から上千本までの桜が昨夜から降り続く春雨ですでに散ってしまっていたが、西行庵のある奥千本は満開の見頃だった。雨のなか、ひっそりとした金峯神社から続く山道を散策し、西行庵に辿り着いた。
西行は、ここ奥吉野の金峯神社の近くに西行庵を結んで、三年間桜の園の中に埋もれるように暮らした。桜は吉野山の麓の辺りから、徐々に標高の高い方に向かって、花を咲かせてゆく。きっと西行は、桜の頃になると、そわそわとまるで恋人が、庵に尋ねて来るような心地で、花の開花を待ったことであろう。
願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃
(願いが叶うならば、何とか桜の下で春に死にたいものだ。しかも草木の萌え出ずる如月(陰暦二月)の満月の頃がいい)
ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ
(ずっと花を眺めているせいか、花に情が移ってしまい、花たちと散り分かれてゆくのが悲しく思われることだ)
吉野山の山桜は、厳しい環境のなかで、豪雪と寒風に耐えながらやっと大人の木となって花を結ぶ。だからこそ美しい。 吉野山では桜は神木であり、信仰の対象でもあった。 西行は、吉野山の桜というよりも、ここに宿っている目に見えぬ祈りの華ににこそ美を見いだしたのかもしれない。
そして、松尾芭蕉。元祖トラベラー「旅人」。
芭蕉の生涯は、西行の辿った道を、俳諧という新しい感性をもって巡る漂流の生涯ではなかっただろうか。 自身を「旅人」と呼ばれたいという心境というものは、無の境地に近いものであったはず。栄達の夢を捨てきれず、花の都の江戸に出てきた芭蕉が、いつしか自分が、突き詰めてきた道の奥には、自分が考えもしないような深い道に連なっていることを発見したのであったのか。
旅人と我名よばれん初しぐれ
(旅先では、ただ一言、「旅人」呼ばれたいものだ。旅に出ようと思ったらどうやら初時雨が降って来たようだ。)
芭蕉は吉野に来る前、伊賀の兄が住む実家によって、近年亡くなった母の菩提を弔っている。この旅そのものが、母への追慕の旅でもあった。
さて、私事ではあるのだが、自分自身のルーツである伊賀と日々大都会で競争社会に身を置いているという当時の芭蕉との共通点。また、芭蕉が西行の後を追って吉野山に向かったのも41歳ということ。近いうちに、伊賀と吉野山との距離感を徒歩で体感し、芭蕉の心境に近づいてみたいものだ。