鹿児島に行ってきた。パン屋を営む旧友の原口君ファミリーとの再会は最高に嬉しかった。
閑静な住宅街にこだわりのアンチーク家具をさりげなくデコレートし、フレンチシックな香りのする素敵なお店をオープンさせた彼を尊敬する。
Channan(カナン)
鹿児島県姶良郡姶良町宮島町32-8
TEL&FAX 0995-67-0671
open 8:00 close 18:30
鹿児島に行ってきた。パン屋を営む旧友の原口君ファミリーとの再会は最高に嬉しかった。
閑静な住宅街にこだわりのアンチーク家具をさりげなくデコレートし、フレンチシックな香りのする素敵なお店をオープンさせた彼を尊敬する。
Channan(カナン)
鹿児島県姶良郡姶良町宮島町32-8
TEL&FAX 0995-67-0671
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最近、有難いことに薬師寺とのご縁ができた。長老の松久保秀胤氏とご一緒に、延喜式格式の神社を巡礼する旅に参加している。
長老には、本当にたくさんの式内神社を巡礼させていただく機会を与えてもらい深く感謝している。
これまで、多くの神社を参拝した。地元の氏子に厳かに祭られている神もあれば、人間の身勝手さによって神の存在や畏怖を忘れられている神社もあった。信じられないことだが、神聖な境内が住宅地として転売されているという現実も目撃した。
神を疎かにする地域は、住民同士のコミュニティが欠如し、他人への無関心や争いがやがて凶悪な事件へも発展していくと言うのは短絡的すぎる発想だろうか。
「NPO」や「まちづくり」というポジティブな地域活動の前に、もう一度、我々は原点に戻って、神社や神事が如何に大切な役割を担ってきたのかをしっかりと再認識すべきなのかも知れない。
現代人が忘れかけている「人と自然との良好な関係のあり方やセンス・オブ・ワンダー的な伝承」を神社が担ってきたことを........
そして、今週末も長老とともに、河内と神戸の神社にお参りする。
先日、京都でクラブ・イベントがあり、夜遊びをしてきた。アイスランドのエレクトロニカを奏でるmumというバンドのライブ。150人で満員になるような小さな地下のクラブ。彼らの奏でる音はアイスランドという北欧の孤島に響くあまりにも冷たい北の海の潮騒や風を想像させ、この響きが京都の雅さに融合していた。
現在進行形の京都という空間のもつ雅さとはなんだろうか。
都市が機能するためには、国境やあらゆる垣根を超越して人や文化がつながっていること。平安時代の陰陽師は、京の都は、北は若狭、南は東大寺、室生、吉野、玉置とが一本の水脈でつながっており、この水のネットワークを龍神として崇めていた。太古においては「水脈」という水のネットワークが、そして、現在においては光通信網などによる地球規模のグローバルなネットワーク。これらの共通は大変興味深い。
アイスランドから来日したmumの奏でる電子音は、時々、地下水脈を伝い吉野や室生の自然の響きがした。
カトリーナとリタの2つのハリケーンでとんでもない被害を被ってしまった音楽都市ニュー・オーリンズ。多くのミュージシャンが住んでいた9th wardは中でも最も洪水がひどく、多くの家屋が壊滅状態になっているので、人々がいつになったら街に戻って音楽活動を再開できるものなのか心配だ。
ここ最近、ニュー・オーリンズの音楽を聴き直している。音楽に目覚めた中学生の頃、兄貴やその友人の音楽マニア達のレコード・コレクションにDr.Johnの名盤GUMBOやアラン・トゥーサンなどのLPがあった。当時の僕には、その良さがはっきり言って分からなかった。
すべての音楽の‘根っこ’がニュー・オーリンズにつながっている。50年代のR&B黄金期に活躍したリトル・リチャーズやレイ・チャールズもニュー・オーリンズのセカンド・ラインというリズムを吸収したことで最強のリズムとなり、やがてロックンロールの誕生に大きな影響を与えたと言われている。近年のラップ界では異端児であるカニエ・ウエストも黒人音楽のルーツを掘り起こすべくニュー・オーリンズに向かっているような気がする。改めて、これらの音楽に触れていると、不思議と自分のこれまでの屈折した音楽感性が矯正されたり、バージョンアップするようである。
森と湖の国、フィンランドの首都ヘルシンキ。
冬の北欧の昼下がり。
夏の白夜の頃とは違って、冬の今頃は昼でもこのような憂鬱な暗い街。確か、このあたりはヘルシンキ駅界隈だったと記憶しているが、歩行者が少ない。
長くて暗い北欧フィンランドの冬。サンタクロースはクリスマスの準備中。
一度は住んでみたい北欧の大好きな街。
ペルシャ湾に沈む夕日、ポルトガル植民地時代の街並み、パームツリーと妖しいビーチ、インドのなかのキリスト教の聖地、フランシスコ・ザビエルの終焉の地、そしてトランス発祥のサブカルチャーな地。
南インドのゴア。
20年ぶりに訪れてみたい古い街。
FM-RADIOが大好きだ。
最近のテレビは嫌い。CSもミニシアター系のCinefil-imagicaぐらいかな。僕が選局するFM局はロンドンのvirgin-radio、capital-FMってところが定番だけれど、これらのチャンネルでは、ヘビーローティションでワンパターンなブリティシュ・ロックが流れ続けるんだが、ロンドン子たちは一日中聴いていても飽きないものなのか? いつかイギリス人に聞いてみたい。
それと、今、インターネットで世界中のFM局をオンラインでリアルタイムに聴けるというのは、凄いことだと思う。昔は、アメ村(大阪)あたりでアメリカのFM番組をエアチェックしたカセットテープが1500円程度で売られていた。
ところで、僕の最も好きな番組は、J-Waveの土曜の早朝(というか、遅い夜)から始まるスムース・エアーっていう番組。土曜日の心地よいリラックスした空気にマッチしたチルアウトな雰囲気。でしゃばらず、そして、洗練されたアーバンな選曲がいい。
それと、サンクト・ペテルブルグに滞在していたときに聴いたロシアの局もよかった。
旅にラジオを持ち込んでご当地のFMを聴けば、その土地の情報やらヒット曲から彼らの趣味の傾向が耳で一発でわかるのがよい。そういう意味では、自宅に居ながら世界中のラジオをネットで聴くことができるという便利すぎる環境というのは、反面、旅の楽しみがほんの少しなくなるようで寂しい気もする。それにしても、関西圏のFM局の元気のなさ、稚拙な選曲には怒りさえ覚える。
前 回、カトリーナが現代のアメリカの影の部分を露出したことを書いた。でも、昨日、ニュースをみていたら、スピルバーグ達が多額の寄付をしたとか、ジョン・ トラボルタが自身の自家用飛行機を操縦して、被害地に物資を運び届けている姿も映し出された。中でも、ボランティアをしている普段着姿のトラボルタって、 映画「ラッキーナンバー」のハマリ役のような小金持ちで少し癖があって、それでも気さくさの抜けないアメリカ人って感じで好感がもてる。いずれにせよ、セ レブと呼ばれる人達が、懸命にボランティア活動をして助け合うというシチュエーションって、日本では稀なんだろうか。こういうアメリカのボランティア精 神って大好きだ。
アメリカ人の「皆で楽しみも苦しみも共有・共感(シェア)する」という精神はアメリカの文化でもあると思う。例えば、こんな話を聞いて笑ったことがある。見知らぬipodユーザー同士が道ですれ違った時、おもむろにお互いのヘッドホンジャックを差し出し、相手のプレイリスト音源を聴き合い、シェア(=共感)するという行為が あるそうだ。このように音楽の感動をシェアするという行為はグレートフルデッドのコンサートで客席でオーディアンス達がマリファナをまわしノミしていく心 理と近いと社会学者が指摘していた。このような陽気さや開放感は、日本人には分かるようで理解し難いアメリカ人の心理でもある。
さて、好きな音 楽を皆でシェアするという文化は、グレートフルデッドのライブ音源が録音し放題であったり、そのテープをファンの間でトレードしていた70年代初頭まで遡 る。現在のように著作権によってミュージシャンの報酬や低迷するレコード業界の売上げを法の規制で一方的に保護しようとする考えとは正反対なもので、リス ナーとアーチストとの共感であり開放的なものであった。いまでも、そんなフリーダウンロードが可能なwebサイトはアメリカにはたくさんある。僕がリンク しているジェリーガルシアのサイトの中にも、たくさんのアーチストのライブ音源を聴くことが出来る。例えば、73年のLittle Featのコロラドでのライブ音源は、故ローウェル・ジョージのスライドギターを200%堪能できるかなりの貴重な涙モノのギグだ。
その他にもジャック・ジョンソンのbonnaroo音源(去年のfujiのヘブンのごとく、ゆぅる~い。ベン・ハーパーの飛び入りでジミヘンの曲やって る)、Bob Wier&ratdog、phil Lesh&frends、Yonder mountain strung band等々よだれモンだ。