水曜日, 12月 10, 2008

神聖な手と不浄の手


インドに旅したら、ご存知、「右手と左手のルール」が痛いほど身にしみる。
インド人の彼らにとっては、宗教上、とても大切なマナー。
左利きの僕が、一番、インドで困ることでもある。

最近、僕は、台湾で著名なシャーマンから神聖な水晶ブレスを受け取り、右手に巻いている。
神様のご神前で彼女が念を入れてくれた、その水晶を授かった瞬間、もの凄いパワーを感じた。
それぐらい、運命的なパワーストーン。
いただいた時の注意点として、
「絶対、他人には触らせないこと」と
「不浄の手には付けてはならない」ことを厳しく忠告させれた。

不浄の手とは、はやい話がトイレで使う手。
神聖な水晶が、穢されることを避けるためだそうだ。
なるほど・・・・

宗教には神と悪魔、科学には肯定と否定、哲学には善と悪、そして原因と結果というように二元論のごとく、
神聖と不浄は、表裏一体によって成り立っている。

だから、不浄や悪という世界観やそれを融合するプロセスがあってこそ、神の領域や善へと至るのである。
そして、また、この世界には「陰」があるからこそ、「光り輝く」世界が存在するのである。
タオ思想にある善と悪の融合のごとく・・

最近、この水晶によって、そういう重要なことを悟った。

さらに、全ての数珠の数は、108という数字の因数によって成立していることも!
仏教の世界では、108の煩悩を消すために108の念仏を唱える。数珠には108を数えるためのカウンタの役目をし、また、その念力や願いは水晶等の数珠に記憶していくものなのだ。
そして、その祈りは水晶を邂逅し、人間の潜在意識も働きかけていくのである。

最近、パワーストーンと称して偽物の石が出回っていたり、108原則を無視した代物も出回っているから注意されたし。

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