月曜日, 6月 09, 2008

“聴かされた”ことからの始まり

幼稚園の頃、父の大好きだったグループサウンズが、我が家のチープなステレオから流れるBGMだった。
それから小学校5年でビートルズを聴きはじめたオマセな少年にとっては、リバプールから発せられるそのメロディやビートがとても懐かしく響いたものだった。それもそのはず、グルーブサウンズはビートルズやストーンズ、そしてモータウンからもろ影響を受けていた。
このように考えてみると、僕たちのような60年代始めに生まれた世代は、原始体験として聴かされてきた音楽が非常に豊かだったのではないと思う。
幼い時に何を聴かされていたかという経験は、その人の潜在的な音楽感性に大きく影響するのではないだろうか?
重要なのは、「聴く」ことではなく、「聴かせされる」ということ。
聴かされた、あるいは、聴いた、つまりインプットされることによって、自分の思考が決まり、取捨選択して「聴く」というアウトプット的に行為となる。

さて、最近は、CDが売れないそうだ。
音楽を携帯やMP3プレーヤーで聴いたり、買ったり・・・そして、消費パターンも随分と変わった。

音楽の素晴らしいところは、イマジネーションを膨らませれることだと思う。
例えば、未だ訪れたことのない見知らぬ土地の音楽を聴きながら、その情景をイメージしてみたり。
音楽によって、実に心が豊かになる。

最近は、例えば、かわいいジャズ風のムード音楽とか、ドラムが入っていない曲をコレクションしている。
ギターのソロだったり、パーカッションとギターだったり、あるいは、コーラスだけだったり・・・
こういう傾向の古い曲を中古レコード屋で探しながら、街歩きすることって、とても楽しい。
僕の住む港町神戸には、結構いい感じの古くから営業しているカフェもあって、昭和やグループサウンズの空気を感じることができる。

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