火曜日, 6月 19, 2007
久々の日記アップ、アネモスの夢の実現
永らく、このプログへアップしていなかった。
しばらくはmixiに浮気していたりして・・・
でも、ここなら、プライベートなことや徒然に感じたことを思う存分に書けるのがいい。
人のコメントとか、あまり気にしなくてもいいし・・
2005年6月にこの日記にアップしたことが、遂に実現した。
「アネモスみちひらきまつり」として。
2年前に受けた唐人駄場のイワクラのメッセージが的中したわけだ。
凄いよ!
土曜日, 9月 09, 2006
Barcelona Raval Sessions
Raval(ラバル)のこと、音楽に敏感な人は、もう知っている人も多いと思う。僕もそんな一人だと自負している。
ラバルとは、スペインはバルセロナにある移民街のこと。美しいバルセロナにあって最も危険な場所といわれている。ここから発せられる多国籍で雑多なミクスカルチャーな現在進行形の音を集めたのが、“Barcelona Raval Sessions”という2枚組のアルバム。
マグレブというアラブ系音楽、アフリカ、フラメンコ、バングラ、レゲエ、ヒップポップにバラカン・ビートまでもがごった煮となったヒップでカッコいいビート。こういう最先端な地中海音楽が混血化されていく現場のひとつがラバルである。
ちなみに、フランスではオクシタンというマルセイユの港町がそうだ。
ラバルの面白いところは、バルセロナという場所のもつ魅力でもある。エレクトリック・ミュージックの祭典“sonar”が開催されたり、マヌ・チャオやプレューズ7というアーティスト達も移住し、ここを音楽活動の拠点にしている。
さて、これからRavalから発せられる現在進行形のアンダーグランドな音が世界にどのように影響していくのかが、楽しみだ。
日曜日, 9月 03, 2006
フクギ(福木)に抱かれて
沖縄らしい家並みが色濃く残り、また、沖縄らしいゆっくりとした時間が流れる素敵な場所。
珊瑚の塀とフクギが生い茂る生け垣の家並みが残っている。
フクギという木は、スリランカあたりが原産地らしく、以外にも沖縄の木ではない。
フクギの肉厚な葉っぱは台風にとても強く、また、日照にも潮風にも強い。
台風の強風でもラジエーターのような効果で、フクギの中の方は微風になるし、熱風もラジエーター効果で冷やされるという。
沖縄の人が小さな島に住めるようになったのはフクギのお陰でもあるという。だが、そのことを知っている沖縄の人は少ない。
確かに、コンクリートで造られた環境はフクギがなくても住める。
しかし、風の通らない住まいは何か問題ではないだろうか。
道路拡幅工事でフクギは切られているという。
沖縄らしい景観をもたらすフクギの並木道がなくなっていることは、殺風景になりつつある沖縄の一因でもあるのかも知れない。
EVE氣みちひらきまつり
日曜日, 5月 07, 2006
四国の山中でchiiori projectと出会う
徳島県東祖谷山村のアレックス・カーの家に遊びに行った。
祖谷(いや)は、日本三大秘境のひとつであり、平家の落人が隠れ住んだと言われるほど険しい山と谷に囲まれた集落。アレックス・カーはこの地に建つ茅葺き屋根で囲炉裏のある300年前の民家を購入し、ここを拠点に「ちりおいプロジェクト(chiiori project)」として、日本の伝統的な生活の継承と保存、都市と山村との交流、地域社会の復興を目的とした様々な活動をされている。
この祖谷の地に、世界各国の伝統的な日本文化に憧れるバックパッカー達が集う。
その訳は、アレックス氏の欧米でベストセラーとなった「Lost Japan」や彼が編集したLonly Planetという外人向けの日本のガイドブックによるものだ。
僕らが滞在した日も、今治市に住むスリランカ系イギリス人女性、津市に住む保育士と和歌山の英語教師助手(彼だけは日本語が堪能だった)のアメリカ人男性達などの欧米人が「ちいおり」のゆっくり流れる時間を楽しんでいた。そして、僕らも拙い英会話で彼等と会話を楽しんだ。
さて、現在、僕が企画に関わっている「奥伊吹の地域再生プロジェクト」。奥伊吹は、東祖谷山村に負けないぐらい日本の原風景や伝統・風習が残っている。しかも、京都・大阪と名古屋の中間点に位置し交通も便利だ。
だから、日本文化に憧れる彼ら外国人に対しても居心地がよく、かつ刺激的な本物の日本文化を感じ取ってもらえるような滞在拠点づくりをぜひ実現したいものである。今回の「ちいおり」で得た刺激や参考とすべき収穫は非常に大きい。
なお、東祖谷山村は過疎化が進み、後継者不足のため、フィリピンやタイのお嫁さんが多いようで、子供達は混血が多かったのも印象的だった。
日本の伝統文化の宝庫であるはずの中山間地が危機に曝されている現場を垣間見た。
火曜日, 3月 21, 2006
拝啓Joanna Newsomさんへ
拝啓Joanna Newsomさん
僕は、あなたの音世界にすっかり魅せられました。
はっきり言って、やられました。
こんなに繰り返し、繰り返し何度も一人の女性アーチストの声を一日中飽きもせず聴いたのは、ケイト&アン・マクギニール姉妹以来でしょうか。
あなたは新鋭のアメリカの女性シンガーソングライターとしては珍しくハープを紡いでアメリカの古い民謡(あえて、フォーク・ソングとは言いません)を掘り起こし、あなたの優しくて新しい感性でもって魂を注いでいますね。それは、静かな叫びではありますが、僕には今のアメリカ社会への痛烈な悲鳴のようにも響きます。違いますか?。
そんな、あなたの前衛とも孤高ともいえるスタイルは、9.11後のアメリカ社会で評価されるのには、まだまだ時間がかかるのでしょうけど、僕は、アジアの片隅でずっとあなたの成長や新しい音が届くのを心より待ち望んでいます。
9.11以来、かっての自由なアメリカはすっかり見る影もなくなってしまって、閉塞していく一方ではありますが、あなたのような素晴らしいアーチストが生まれてくるアメリカに僕は今でも夢を持ち続けられる自信があります。I love USA.
月曜日, 2月 27, 2006
Konono No. 1
今夏、アフリカのコンゴから最大級のハリケーンが日本に上陸する。Konono No1というバンドだ。
ディープでコアな正真正銘な伝統的アフリカン・ミュージックで、親指ピアノを主体とする大音量の轟音。これまでのワールドミュージックのような商業ベースで生温いカテゴリーには収まらない、力強く、限りなく黒い音。
これはかなりヤバイ。 要注意!
木曜日, 2月 23, 2006
City Of Kita-Kyushu
北九州に新規プロジェクトを介して新たなご縁ができた。福岡市に次ぐビッグな街である。岡本太郎展が開催されていたり、来月に北九州空港がオープンするなどで街全体が活気に溢れていた。
この街は、九州一の工業都市として栄えていた。また、後背地には炭鉱の筑豊があるなど、博多が商業都市であるのに対し、こちらはかっての労働者の街。イギリスのマンチェスターのような匂いがする街なのだろう。
マンチェスター。僕にとっては憧れの音楽都市でもある。ザ・スミス、モリッシー、ニューオーダー、、、不思議とこのブログに綴ってきたマンチェスターを拠点に活躍する大好きなイギリスのミュージシャン達。そういえば、北九州にもライブハウスや音楽スタジオ、楽器店などがやたらと目に付く。きっと、ローカルに支持されて活動しているアマチュア・ミュージシャンも多く住んでいるのであろう。この街での新たな出会いに期待大である。
また、4月は、細野さんが70年代の日本のフォーク・ロックの金字塔的アルバム「HOSONO HOUSE」のリバイバル・ツアーがお隣の博多で行われるように、この地で何か大きな動きが始まろうとしているのかもしれない。
それと、前述の北九州空港からは海外へ唯一ロシアとの直行便が就航するとのこと。全く正反対な風土や個性を持つ2つの都市であるはずなのに、その組み合わせが刺激的で興味深い。
ちなみに、北九州とのご縁は、昨年の秋に訪れた「宗像神社」からだ。
水曜日, 2月 22, 2006
岡本太郎を考える
岡本太郎展の衝撃が抜けない。頭の中は、太郎の世界で溺れている、そんな一日だった。
i-podで、serge lopezというスペインの新人アーチストの新譜を聴く。ラテンの血が騒ぐような情熱に溢れた音楽だ。スパニッシュ音楽をベースに、フラメンコ、ジプシー、北アフリカ、そしてブラジルまでも彷彿するミックスカルチャーな地中海音楽であり、粘っこいフラメンコ・ギターの響きにつられて魂は解放され体は自然と躍動する。日本に生まれた自分でさえ、どこかDNAに刻まれているかも知れないラテンの情熱を奮い立たせる。
岡本太郎も、絵画や彫刻を通じて、日本人にもある「ラテンの情熱」を縄文パワーによって爆発させたかったに違いない。彼は、筆を持つミュージシャンだったのである。 そう考えると、岡本太郎を理解しやすい。
月曜日, 2月 20, 2006
岡本太郎・北九州展
太郎が芸術に捧げた情熱や彼の魂を感じることができる素晴らしい展覧会であった。
彼の有名な言葉、「芸術は爆発だ」、「爆発は戦いだ」の意図するところを垣間見るができた。伝統や効率という全体主義に対する前衛による戦いであったり、現代社会において、人が人らしく生きる権利への戦いである。
日本人は縄文人の優れた感性を見直すべきであると主張する。だから彼の芸術は縄文人による爆発であり、その爆発が彼自身の精神の内面のみで収まるのではなく、外に向けて発していくポップ・インダストリアル・デザインなのである。その手法は不気味な「呪術」である。
戦後、留学先のパリから帰国し、戦火で荒廃した日本に嘆き悲しみ、日本を再発見するため、全国各地を勢力的に旅をする。イタコ、民間信仰、山岳信仰、そして熊野の地へと。そこで縄文文化に触れていく。日本人の根底に眠っている縄文人のみなぎる生命観の力強さを求め、神社や聖地を憑かれたように巡っていく。そして、1957年。ついに沖縄の久高島のノロ(シャーマン)やウタキ(聖地)と出会い、彼の縄文への憧れは決定的なものとなる。
彼のメッセージは、一貫している。「現代の日本人で、まともに生きようと努力している人間はいない。生活に遊びや情熱がない。だから、僕は縄文人の呪術を使い日本人にメッセージを送り続けているのだ」。天国にいるはずの太郎の魂と北九州で出会えたようなすばらしい感動。
月曜日, 1月 16, 2006
london niteな気分で
朝から深夜、時には早朝まで働きずくしだったよ。本当によく働く中年だ。自分でも感心する。
金曜日は東京の元ボスと久しぶりに北新地のクールなジャズが流れるショットバーあたりでオールナイト・パーティだった。北新地は人も街の賑わいも戻ってきたようで、本格的に景気が回復しているような気配も感じた。
こういう上向き気分のときのBGMは、華やかなでアートで、しかも軽薄な音がマッチする。例えば、80年代のニューウェーブやパンク、スカ、ダブが最高にいい。例えば、こんなlondon niteな選曲!
RIP RIG & PANIC、NEW AGE STEPPERS、LINTON KWESI JOHNSON、FISHBONE、THE SPECIALS、PATTI SMITH、THE STRANGLER、JOE STRUMMER、KILLING JOKE、ECHO & THE BUNNYMEN、BAUHAU、THE SMITHS、LENINGRAD COWBOYS etc
こんなカッコいい英国のモッズ達を覚えていますか?ちなみに僕の青春時代の懐かしい音です。そして、これが今月の僕のi-podのplaylistです。未だに脳みその片隅に残っている寝ぼけた正月気分をたたき潰すには最適なビートだ。
土曜日, 1月 07, 2006
原口君ファミリーとの再会
鹿児島に行ってきた。パン屋を営む旧友の原口君ファミリーとの再会は最高に嬉しかった。
閑静な住宅街にこだわりのアンチーク家具をさりげなくデコレートし、フレンチシックな香りのする素敵なお店をオープンさせた彼を尊敬する。
Channan(カナン)
鹿児島県姶良郡姶良町宮島町32-8
TEL&FAX 0995-67-0671
open 8:00 close 18:30
金曜日, 1月 06, 2006
水曜日, 12月 07, 2005
荒廃する聖地
最近、有難いことに薬師寺とのご縁ができた。長老の松久保秀胤氏とご一緒に、延喜式格式の神社を巡礼する旅に参加している。
長老には、本当にたくさんの式内神社を巡礼させていただく機会を与えてもらい深く感謝している。
これまで、多くの神社を参拝した。地元の氏子に厳かに祭られている神もあれば、人間の身勝手さによって神の存在や畏怖を忘れられている神社もあった。信じられないことだが、神聖な境内が住宅地として転売されているという現実も目撃した。
神を疎かにする地域は、住民同士のコミュニティが欠如し、他人への無関心や争いがやがて凶悪な事件へも発展していくと言うのは短絡的すぎる発想だろうか。
「NPO」や「まちづくり」というポジティブな地域活動の前に、もう一度、我々は原点に戻って、神社や神事が如何に大切な役割を担ってきたのかをしっかりと再認識すべきなのかも知れない。
現代人が忘れかけている「人と自然との良好な関係のあり方やセンス・オブ・ワンダー的な伝承」を神社が担ってきたことを........
そして、今週末も長老とともに、河内と神戸の神社にお参りする。
月曜日, 12月 05, 2005
iceland in kyoto
先日、京都でクラブ・イベントがあり、夜遊びをしてきた。アイスランドのエレクトロニカを奏でるmumというバンドのライブ。150人で満員になるような小さな地下のクラブ。彼らの奏でる音はアイスランドという北欧の孤島に響くあまりにも冷たい北の海の潮騒や風を想像させ、この響きが京都の雅さに融合していた。
現在進行形の京都という空間のもつ雅さとはなんだろうか。
都市が機能するためには、国境やあらゆる垣根を超越して人や文化がつながっていること。平安時代の陰陽師は、京の都は、北は若狭、南は東大寺、室生、吉野、玉置とが一本の水脈でつながっており、この水のネットワークを龍神として崇めていた。太古においては「水脈」という水のネットワークが、そして、現在においては光通信網などによる地球規模のグローバルなネットワーク。これらの共通は大変興味深い。
アイスランドから来日したmumの奏でる電子音は、時々、地下水脈を伝い吉野や室生の自然の響きがした。
月曜日, 11月 21, 2005
ニュー・オーリンズ
カトリーナとリタの2つのハリケーンでとんでもない被害を被ってしまった音楽都市ニュー・オーリンズ。多くのミュージシャンが住んでいた9th wardは中でも最も洪水がひどく、多くの家屋が壊滅状態になっているので、人々がいつになったら街に戻って音楽活動を再開できるものなのか心配だ。
ここ最近、ニュー・オーリンズの音楽を聴き直している。音楽に目覚めた中学生の頃、兄貴やその友人の音楽マニア達のレコード・コレクションにDr.Johnの名盤GUMBOやアラン・トゥーサンなどのLPがあった。当時の僕には、その良さがはっきり言って分からなかった。
すべての音楽の‘根っこ’がニュー・オーリンズにつながっている。50年代のR&B黄金期に活躍したリトル・リチャーズやレイ・チャールズもニュー・オーリンズのセカンド・ラインというリズムを吸収したことで最強のリズムとなり、やがてロックンロールの誕生に大きな影響を与えたと言われている。近年のラップ界では異端児であるカニエ・ウエストも黒人音楽のルーツを掘り起こすべくニュー・オーリンズに向かっているような気がする。改めて、これらの音楽に触れていると、不思議と自分のこれまでの屈折した音楽感性が矯正されたり、バージョンアップするようである。
日曜日, 11月 20, 2005
ヘルシンキの昼下がり
森と湖の国、フィンランドの首都ヘルシンキ。
冬の北欧の昼下がり。
夏の白夜の頃とは違って、冬の今頃は昼でもこのような憂鬱な暗い街。確か、このあたりはヘルシンキ駅界隈だったと記憶しているが、歩行者が少ない。
長くて暗い北欧フィンランドの冬。サンタクロースはクリスマスの準備中。
一度は住んでみたい北欧の大好きな街。
GOA
ペルシャ湾に沈む夕日、ポルトガル植民地時代の街並み、パームツリーと妖しいビーチ、インドのなかのキリスト教の聖地、フランシスコ・ザビエルの終焉の地、そしてトランス発祥のサブカルチャーな地。
南インドのゴア。
20年ぶりに訪れてみたい古い街。
月曜日, 10月 24, 2005
伊勢と伊賀とサルタヒコ
古事記で天孫降臨の重要な役を担ったサルタヒコ(猿田彦)という神様がいる。この神様は未だ古代史で解明されていない謎が多い。先日、伊勢の猿田彦神社で恒例のサルタヒコフォーラムに出席した。歴史学者、宗教学者、人類学者、音楽家、アーチストといった日本の各方面で最先端な学者やアーチストが神社に集うという素晴らしい空間であった。
伊勢という場所柄、皇學館の神道学の教授陣も多く、神社大好きの僕にとっては堪らない人的ネットワークをいただいた。そういえば、僕のルーツである伊賀(名張市)には皇學館大学の名張キャンパスもあるし、お隣の御杖村は倭姫が大和朝廷からアマテラスを伊勢の地へと導いた街道もある。サルタヒコを通じて、伊勢と伊賀を繋いでいる新たな線があるのかもしれない。
写真は、山口県美祢市の猿田彦神社で偶然発見したサルタヒコの珍しい像。
日曜日, 10月 23, 2005
アースダイブ in 東京
火曜日, 10月 18, 2005
emacを購入しようと思っていたのに.....
日曜日, 10月 09, 2005
DooBoo フェス
ラインナップは、ワ ルシャワ・ヴィレッジ・バンド(ポーランド)、KILEMA(マダガスカル)、OKI(アイヌ)他。念願でもあった、僕の最近のお気に入りのOKIのトン コ リ演奏をナマでみた。トンコリというアイヌの伝統楽器がかってシャーマンが用いた楽器であったということで、その音色や反復する不規則 なシンコペーションを聴いていると魂が覚醒してくるような快楽。
ワルシャワ・ヴィレッジ・バンドはポーランドのポーグスとも形容される若手バンドで、共産主義政権下で死滅しかけていたポーランドのルーツミュージックを 掘り起こ し、それをベースにスカンジナビア(17世紀にポーランドはスウェーデンに占領されている)のポルスカというダンス音楽やジプシー音楽などの汎ヨーロッパ 圏の伝統音楽と パンクミュージックやトランス、ダブ等との融合を試みている。
現在進行形の彼らの音とバブル期の第一次ブームとの違いは、シンセサイザーなどの電子音を極力排除し、ナマ楽器によるバイオ・テクノな音であることや、トランス・ミュージックという概念が下敷きされている点である。
月曜日, 10月 03, 2005
次世代アグリ(農)の幕開けは近い
今、日本の農業はとんでもなく複雑な多くの問題を抱えている。高齢化や後継者不足、外国産との価格競争、高いランニング・コストの割に純利益 が低く、そのうえに税負担の重荷によって農業従事者は縛られている。これらの諸悪の原因は農業を切り捨ててきたと言っても過言ではない日本の政治にあるは ずだ。
ここで、日本の農業をもう一度見直してみたい。我々の命を守る食料の保証はもちろんのこと、国土や環境の保全、人々にゆとりや安らぎを与え、農村は日本の伝統的な文化の宝庫でもある。
ハリケーン・カトリーナやリタの甚大な被害が石油生産にも影響を及ぼし、これが最近の著しい石油価格の高騰へと我々の生活にも直結した問題となっている。 そこ で、化石エネルギーに替わるバイオ・エネルギーのことを紹介したい。例えば、ドイツでは菜種から精製されるバイオディーゼル燃料であり、アメリカではトウ モロコシのエタノール燃料がそれである。近い将来、これらの畑から生まれたバイオ燃料で動く自動車が走り出すであろう。そうなれば、田畑は油田となり、農 業は工業化と変貌するはずだ。
ドイツには既に地域のエネルギーを菜種油や風力、間伐材などのチップによる火力、ゴミや家畜の糞を利用したメタン ガスなどのバイオエネルギーを自給自足しているユーンデという人口800人程度の小さな村がある。発想が60年代のヒッピーコミューンと共通しているよう で興味深い。
土曜日, 9月 24, 2005
祝エイミー・マン初来日
さあ、来月は、来日イベントが目白押しだ。ストリング・チーズ・インシデント(これは9月30日)、マハラ・ライ・バンダ、ファンファーレ・チョカリーナ、リンダ・ルイス、そして、エイミー・マン。
エイミー・マンの初来日が実現! やった。本当に待ってました。嬉しい。彼女のライブの夜は、何がなんでもスケジュールオフ。
水曜日, 9月 21, 2005
水曜日, 9月 14, 2005
FM好き
FM-RADIOが大好きだ。
最近のテレビは嫌い。CSもミニシアター系のCinefil-imagicaぐらいかな。僕が選局するFM局はロンドンのvirgin-radio、capital-FMってところが定番だけれど、これらのチャンネルでは、ヘビーローティションでワンパターンなブリティシュ・ロックが流れ続けるんだが、ロンドン子たちは一日中聴いていても飽きないものなのか? いつかイギリス人に聞いてみたい。
それと、今、インターネットで世界中のFM局をオンラインでリアルタイムに聴けるというのは、凄いことだと思う。昔は、アメ村(大阪)あたりでアメリカのFM番組をエアチェックしたカセットテープが1500円程度で売られていた。
ところで、僕の最も好きな番組は、J-Waveの土曜の早朝(というか、遅い夜)から始まるスムース・エアーっていう番組。土曜日の心地よいリラックスした空気にマッチしたチルアウトな雰囲気。でしゃばらず、そして、洗練されたアーバンな選曲がいい。
それと、サンクト・ペテルブルグに滞在していたときに聴いたロシアの局もよかった。
旅にラジオを持ち込んでご当地のFMを聴けば、その土地の情報やらヒット曲から彼らの趣味の傾向が耳で一発でわかるのがよい。そういう意味では、自宅に居ながら世界中のラジオをネットで聴くことができるという便利すぎる環境というのは、反面、旅の楽しみがほんの少しなくなるようで寂しい気もする。それにしても、関西圏のFM局の元気のなさ、稚拙な選曲には怒りさえ覚える。
木曜日, 9月 08, 2005
アメリカのポジティブな面(その2)
ジョージが病気から復帰した後に録音されたライブ版の“Waiting Columbus(78年ぐらい)”もいいけど、10倍はいい。
アメリカのポジティブな面
前 回、カトリーナが現代のアメリカの影の部分を露出したことを書いた。でも、昨日、ニュースをみていたら、スピルバーグ達が多額の寄付をしたとか、ジョン・ トラボルタが自身の自家用飛行機を操縦して、被害地に物資を運び届けている姿も映し出された。中でも、ボランティアをしている普段着姿のトラボルタって、 映画「ラッキーナンバー」のハマリ役のような小金持ちで少し癖があって、それでも気さくさの抜けないアメリカ人って感じで好感がもてる。いずれにせよ、セ レブと呼ばれる人達が、懸命にボランティア活動をして助け合うというシチュエーションって、日本では稀なんだろうか。こういうアメリカのボランティア精 神って大好きだ。
アメリカ人の「皆で楽しみも苦しみも共有・共感(シェア)する」という精神はアメリカの文化でもあると思う。例えば、こんな話を聞いて笑ったことがある。見知らぬipodユーザー同士が道ですれ違った時、おもむろにお互いのヘッドホンジャックを差し出し、相手のプレイリスト音源を聴き合い、シェア(=共感)するという行為が あるそうだ。このように音楽の感動をシェアするという行為はグレートフルデッドのコンサートで客席でオーディアンス達がマリファナをまわしノミしていく心 理と近いと社会学者が指摘していた。このような陽気さや開放感は、日本人には分かるようで理解し難いアメリカ人の心理でもある。
さて、好きな音 楽を皆でシェアするという文化は、グレートフルデッドのライブ音源が録音し放題であったり、そのテープをファンの間でトレードしていた70年代初頭まで遡 る。現在のように著作権によってミュージシャンの報酬や低迷するレコード業界の売上げを法の規制で一方的に保護しようとする考えとは正反対なもので、リス ナーとアーチストとの共感であり開放的なものであった。いまでも、そんなフリーダウンロードが可能なwebサイトはアメリカにはたくさんある。僕がリンク しているジェリーガルシアのサイトの中にも、たくさんのアーチストのライブ音源を聴くことが出来る。例えば、73年のLittle Featのコロラドでのライブ音源は、故ローウェル・ジョージのスライドギターを200%堪能できるかなりの貴重な涙モノのギグだ。
その他にもジャック・ジョンソンのbonnaroo音源(去年のfujiのヘブンのごとく、ゆぅる~い。ベン・ハーパーの飛び入りでジミヘンの曲やって る)、Bob Wier&ratdog、phil Lesh&frends、Yonder mountain strung band等々よだれモンだ。
火曜日, 9月 06, 2005
ヤマウト続報-小嶋さちほもやってくる
今日、久々にHPを覗いたら、しっかり内容も更新されている!! 日曜日には、小嶋さちほのライブも追加されたようだ。ということは、サヨコオトナラのサヨコと共演があれば“zelda”の 再来ってことなんだろうか、ワクワクする。GOA GILLの24時間にも及ぶDJプレーで、僕は果たしてどれぐらい踊り続けることだろうか? 年甲斐にもなくフラフラとよろけながら踊っている中年がいれば僕です。では、週末、ヤマウトでお会いしましょう。
ハリケーン“katrina”
また、テロやイラク戦争に偏り過ぎた危機管理体制や予算配分のため、自然災害時での政府の対応力の拙さや被害者の多くが低所得者層であったことなど、現代のアメリカが抱える複雑な問題点が露出されたように思う。この点は、阪神淡路大震災での政府の対応の未熟さなどとの共通点も多い。
さて、僕は昨夜、仕事で山口市内に滞在していた。台風14号の進路にある山口は早朝から暴風に見舞われた。新幹線が辛うじて運行されていた午前中までに仕事をテキパキと片付けて、 大阪に無事戻ることが出来た。
金曜日, 9月 02, 2005
沖縄病
昨夜は、数年前に熱中していたペルー音楽とエジプトのアラブ音楽で酔いしれた。ここ最近、パーカッションやドラムに新たな魅力を発見したものだから、改めて、アラブ音楽でのパーカッションの面白さやその重要性がみえてきた。
ペルー音楽を聴くと、なぜか、沖縄に行きたくなる。沖縄の深い秋の空と入道雲。 どうやら、夏バテが回復したとたん、沖縄病が発病したらしい。
火曜日, 8月 30, 2005
奥伊吹・甲津原の郷
いや~、本当に素敵な山人の住む集落だった。週末、滋賀県の奥伊吹の里をフィールドワークしてきた。同行した滋賀県人さん達も、この風景は近江の国とは違う!と感動しておられた。冬には雪が4.5mも積もった記録のある雪国。この日も、すでに周りの自然に秋の気配が漂う。
この里の人工水路を流れる勢いのよい清流の轟音とともに、マイナスイオンが溢れかえっていた。
宿では、牡丹鍋(猪なべ)、鹿刺し、イワナの骨酒などの、物凄い山の幸に舌もハートも大満足。例年だと金太郎鍋(熊なべ!)もあり。えっ、熊さんもいる!しかも、宿の大将は、全国の民謡コンクールでの数々のトロフィー保持者。酔いが回って、すっぱらしい民謡を披露していただいた。大感動!
それから、この里の自慢は、星空。天の川がくっきりとくっきりと頭上に......。満点の★が手に届くぐらい近くに見えて、しかも地平線近くまでびっしり。
日本にも、まだ、こんな凄い山人達が住む里とが残っていたことに大感動。次回は、山中が真っ赤に染まる紅葉と白銀の世界を堪能しに、再訪することに決定。金太郎鍋にも挑戦。
いたる処に山菜と薬草が茂っていた。薬草ファンのメッカ。
水曜日, 8月 24, 2005
広島へ
新規プロジェクトのため、来年の春まで頻繁に広島市や備北地方を訪れることとなる。
お好み焼き、カキ、宮島、広島カープ、、、、。これまでは、あまり広島に縁がなかったけど、“半分広島県人”と言われるよう、せっせと通いたい。よろしく、HIROSHIMA。
金曜日, 8月 19, 2005
四国の渇水
早明浦ダムの貯水量も遂に底をつき、高松では本格的な断水制限が行われ、生活に不便を強いられておられることと察します。四国の方々には、心からお見舞い申し上げます。
僕も、昨年の夏は高松で住んでいた。2年強の高松生活であったが、その間、運良く水で困ることはなかった。去年は大型の台風が何度も四国を直撃し、高松市 内でも浸水によって交通や生活が麻痺する大混乱となった。僕の住んでいたマンションも1階が床上浸水となったが、このときも偶然、神戸に帰省していたし、 僕は2階の部屋だったので被害に遭わずにすんだ。
さて、昔は、今のような渇水で深刻な被害となったことだろう。米や農作物への悪影響が飢饉につ ながり、人の命に係わる深刻な事態となった。だから、朝廷は、陰陽師などのシャーマンに雨乞いの祈祷をさせていた。奈良や京都には、今では忘れられている が、彼らが雨乞いの祈祷をする聖地がある。これらの聖地はおおむね水の神である竜神を祀っている神社である。
「陰陽師(岡野玲子、夢枕獏)」の 8巻<安陪晴明 天の川にて雨を祈ること>に、安陪晴明が雨乞いに竜神の神様の聖地巡礼をするという物語がある。その聖地とは、「貴船(鞍馬)」、「龍穴 神社(奈良県室生村)」、「丹生川上神社(東吉野)」そして「天河」。これらの水の聖地は、全て地下の水脈で繋がっているそうだ。
ちなみに、明日、僕は、龍穴神社に行く。
水曜日, 8月 17, 2005
火曜日, 8月 16, 2005
土曜日, 8月 13, 2005
山水人(ヤマウト)まつり、とても気になります
ラインナップは、 ゴア・ギル、南正人、ダチャン ボ、マジェスティクサーカス、熊谷もん、座晩鳥、クリ、ゆうすけ、ザ・ファミリー、インカローズ、OiOi、Otowa、イーリャ・ダス・タッタルーガス、ベリー、ミツキ、Tetsu、Shinkich、そしてサヨコオトナラ。
朽木村は琵琶湖西岸のブナの原生林がある山深い超~気持ちのいい場所。3日間のキャンプインのパーティのようだ。
金曜日, 8月 12, 2005
神波多神社と波多の里
奈良県山添村に波多という集落があり、ここに除疫神の牛頭天王を祀る神波多神社が鎮守する。
波多族。彼らは海洋民族として航海技術に卓越した民族であったといわれる。
そして、この村には多くのイワクラ群があり、夏の夜空の天体図の三つの星(デネブ、ベガ、アルタイル)と位置関係が一致している。 これらは、この村の神野山を中心として夏至の太陽の昇るところと沈むところ、冬至の太陽が昇るところと沈むところを線で結ぶとその線上に巨石や神社が点々と配置されている。一説によると、太陽の輝きがもっとも薄れたとき、太陽の復活(生命の復活)を願い、お祈りしたのではないかと推測されている。
月曜日, 8月 08, 2005
夏、真っ盛り
水シブキがとても気持ち良さそう。
甲子園も始まった。
毎日がカルフォルニア晴れ。
アロハ・シャツも着た。
野外フェスにも行った。
子供と虫とりもした。
NewOrderのニューアルバムも愛聴している。
でも、まだ、スイカたべてない。
ビーチにも行っていない。
はやくしないと! 夏が終わってしまう前に・・
金曜日, 8月 05, 2005
解毒・DETOX
カラダに溜まった不要な贅肉、毒素。これらは水や食べ物、空気の汚染から体に蓄積され、加齢、ストレス、アルコールや不規則な生活による免疫力の低下やホルモンのバランスの乱れによるものだ。
こんな毒素を溜め込んだカラダでは、充実した人生を送ることも、よい仕事もできない。
だから、決心した。解毒することに....。カラダに溜まった毒素を排出して、細胞を活性化するのだ!
オラ!メヒコ
ウアウトラという村には、良質で最高に飛べるキノコが生えているそうだ。60年代のドラッグカルチャーやロックの原点となり、それに影響を受けた現代のトランスミュージックやハリー・ポッターまで、すべてがこの村からはじまったとも言われている。ビートルズのメンバーがリンゴ・スターの誕生日を聖な るキノコで祝うため、この辺鄙な村に住んでいた二十世紀最大のシャーマン、マリア・サビーナのもとにやって来たというサイケデリックな伝説もある。
日本のお盆のように祖先の霊を現世に迎えるお祭りもあったりと、死を身近なものとして捉えてるというメキシコ人と日本人との共通点も多いそうである。
オアハカという村はメキシコ人にとっても磁場の強い聖なる場所であるらしい。その村のモンテ・アルバンという聖地は写真を見るだけでもエネルギーが充満している。
そんな感じですが、、、詳しくは田口ランディとAKIRAが著した「オラ!メヒコ」(角川書店)を参照されたし。
メキシコの空気は沖縄に似ていると言うし、石好きの僕にとっては、フリーダ・カーロとイサム・ノグチとの恋愛関係についても知りたい。
水曜日, 8月 03, 2005
火曜日, 8月 02, 2005
月曜日, 8月 01, 2005
ラムネとビール冷えてます
鈴鹿山系から涌き出る清い地下水がこの宿場町の地蔵川に絶えることなく“こんこ ん”と湧き流れる。かっての旅人がこの水で旅の疲れを癒し、のどの渇きを潤った。また、最近まで直接飲料水としても利用されていた。まさしく、命を守る水であ る。
地蔵川にはハリヨという絶滅の危機のある貴重な魚が生息し、清流のみに生える梅花藻(バイカモ)という小さくて可愛い花が咲く水生植物で生物学的にも貴重な川だそうだ。この日も、梅花藻の花と涼を求めて多くの観光客が訪れていた。
清い水の流れる小川と人の生活や営みが密接に関係しているという点で、失われつつある日本の風景であると思う。
このまちの頭上を名神高速道路が通り、一日に何十万台ものトラックやクルマが通過していることが信じられないほど、かっての宿場町の賑わいや生活の音が聞こえてきそうである。素敵な真夏の週末の遠足であった。
木曜日, 7月 28, 2005
ディープな四万十川
森に響き渡る清流の轟、限りなく透明な水、濃厚な空気、木々の緑、ごつごつとした岩、鳥のさえずり、そしてあたり一面に飛び散るマイナスイオン。
ここは、四万十川支流の上流域。
これまでの僕の四万十川のイメージとは異なる未知の世界。
確かに、吉野にも美しい川は多い。だが、吉野の凛とした透明感とは違う亜熱帯特有の甘くて優しい空気を感じた。
また、四万十川は、“川”だけに着目した観光ツーリングだけでは勿体ない。山の緑をめでよう。里山の田んぼの風景、ゆったりとした生活のリズムを感じてみよう。この地に身をおけば、本来の自分のペースを取り戻せるかもしれない。
今回の旅で得た四万十川に対するイメージは、“ハワイのジャングル”のような世界。
そう、ここに流れるのは、まったりとした濃厚な時間_
サウンドスケープで喩えるならば、今回の旅で車のBGMに流し続けていたSprout。ゆるめのオーガニック・グルーブな曲がぴったし溶けあう。
だれか、こんなディープな四万十の新しい旅のスタイルをもっと僕らにコーディネイトしてくれませんか。
次回はテント持参。
土曜日, 7月 23, 2005
ANEMOΣ
荒れ果てた地に横たわる
水晶に封印された縄文人の記憶のかけらを
幽世と現世のシャーマンである御杖たちが祓い清める
アネモスよ、君は海原を鳥のごとく悠々と飛翔し、その魂は波多の民に還る
風は波を生み、波は竜神と化す
そして、夜空の星座と太陽神アマテラスが出会う周期を大地に刻印する
荒涼の地に眠る去勢された鉱物を嘆き悲しむ君よ
君はひとつの伝説でもある
木曜日, 7月 21, 2005
アサーティブネス
わが社の狭い世界でさえ人間関係につくづく疲れることがある。上司、部下、クライアント・・・・。僕らは会社で生産するという労働に匹敵するぐらいコミュニケーションに費やす労力やエネルギーを消耗している。人と人とのコミュニケーションの大切さはわかるが、時には物静かに自分の世界に没頭して仕事をする時間だって貴重だ。確かに、今の僕の会社での立場からは贅沢な望みなのかも知れないけれども。
僕の会社は技術者集団であるので、自分の技術には責任とプライドをもつ人間が必然的に集まっている。特に、僕は妥協を許さず、かつ熱くなるタイプであるので、仕事上での衝突が避けられず対人関係も決して上手くいっているとは言いがたい。それでも最近は、管理職として部下の成長を暖かく見守っていくことの大切さに目覚めてもいる。でも、昨日は上司と締め切り前の僕が書いたコンペ資料で熱いバトルを繰り返してしまった。自分の技術や意見を主張するつもりが、いつのまにやらお互いがエゴ剥き出しのパワートークへと転換し、つくづく嫌になってしまうし後味も悪い。
アーサーティブネスというコミュニケーション理論を習ったことがある。Assertivenessとは、「自己主張すること」。でも、自分の意見を押し通すのではない。それは、自分の気持ちや意見を、相手の権利を侵害することなく、率直に、誠実に、対等に表現することである。この理論は70年代のアメリカの女性解放運動から始まったもので欧米社会では広く浸透しているらしい。
アサーティブネスでは自分には12の権利があると説く。同様に相手にもあるこの権利を侵害しないということが基本であると言う。
- 私には、日常的な役割にとらわれることなく、ひとりの人間として、自分のため優先順位を決める権利がある
- 私には、賢くて能力のある対等な人間として、敬意をもって扱われる権利がある
- 私には、自分の感情を認め、それを表現する権利がある
- 私には、自分の意見と価値観を表現する権利がある
- 私には、自分のために「イエス」「ノー」と決めて言う権利がある
- 私には、間違う権利がある
- 私には、考えを変える権利がある
- 私には、「よくわかりません」と言う権利がある
- 私には、ほしいものやしたいことを、求める権利がある
- 私には、人の悩みの種を自分の責任にしなくてもよい権利がある
- 私には。まわりから人の評価を気にせず、人と接する権利がある
- 私には、アサーティブでない自分を選ぶ権利がある
個人的には、8番目の権利が好きだが、英語ならば“I have No Idea.”でさらりと表現できるけれども、日本語であればその言葉の奥にある姿勢を問われるようで、喧嘩に発展しかねないという疑問が残ることも確かである。
いずれにせよ、この講義を受けて、自分のコミュニケーション・パターンの欠点に気づき、アサーティブなものへと変えていくために日々トレーニングしていこうと誓ったばかりであるのに、昨日の上司との一件からして長年の習慣や態度を変えることの難しさを実感した。
そして、良好なコミュニケーションの入口は、『人を誉めて、人の目をしっかり見ること』。これって、日本人には結構難しいことなんだ。
水曜日, 7月 13, 2005
On the Road
日本の平凡な道だけれども、なんとなく好きな風景。
山口県周南市の国道2号線。この道は、中国地方を横断し関西圏と九州地方とを結び、また、山陽地方の主要都市間を連絡する西日本の大動脈。
この日、僕は山陽新幹線の徳山駅で降り、レンタカーを借りて見知らぬ街を徘徊した。その目的は、道路整備効果をリサーチするためにドライバーや住民の視点 へと限りなくブレークダウンしたフィールドワークのためだ。地味な仕事ではあるが、好きな分野。道路整備は確かに環境や自然保全にとっては脅威的なもので あることは否めないが、人の生活や営みを支えるための必要不可欠なライフラインだ。人とモノの流れを血液と喩えると血管の役割をなす。特にこの写真の道路 は、欧米並みにクルマが快適に走行できるし、自転車や歩行者にも安全で歩いて気持ち良さそうな広い歩道だってある。
このような日本版Free-Wayにクルマを走らせて知らない街に出かけてみるのも楽しい旅のスタイルだろう。バックパッカーのように必要最低限の荷物をトランクに詰め込んで彷徨するのだ。そのような自由で気ままな自分探しの旅に憧れる。
山口は瀬戸内海沿岸には少し昭和の時代にタイムスリップしたような懐古で特異な街が多くあるし、山陰には魅力的な日本の原風景が広がっている。長門では天 才童謡詩人‘金子みすず’の世界に魂が洗われるだろう。そして、「ふぐ」であまりに有名な下関は、本州の最果ての地。この街は、本州、九州、韓国・中国と の三角形を結ぶ陸と海のクロスロードとして独特の雰囲気を醸し、どこかアジアの匂いが漂うオリエンタルチックで開放感のある港町だ。
なにげない「道」から新たな旅や出会いが始まり、そして、その道には終着点はない。“On the Road”かってのアメリカのビートニクス詩人や放浪者が好んだ言葉だ。
On the Road_そして、僕のこのblogも肩の力を抜いて、日々感じる事柄をありのままに綴っていこうと改めて思う。
Be Here Now!!